第四回 小露、岩殿観音に詣でて危難にあう

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  月の野露草雙紙  巻之二
                            武野 不老軒うたゝ著
  第四回 小露詣岩殿観世音危難
扨も布田右衛門(ふだゑもん)が娘小露は、只壮佼(わかうど)の面影瞳(おもかげめほとけ)の中に有て、しばしの間も忘れやらず、せめて慰方(なぐさむかた)もやと、床のさむしろを出て、庭面川面(にわもかはも)を詠(ながむ)るに、都(すべ)て耳にふれ、眼にさへぎるものみな泪(なみだ)を催す媒(なかだち)とはなりて、明暮たゞ此事のみ思ひこがれければ、終(つい)には病となり、ぶらぶらと煩(わづらひ)ければ、母は大に驚、何がな保養させまほしく思ひ、此頃武さし野の傍(ほとり)、比企(ひき)のてふ所に尊(あらた)なる觀世音あり、坂東三十三番の内十番にして、尊躰千手觀音也、この頃大に参詣群集のよし聞伝ふ、もしくは娘この地に参詣させなば、大悲の利益(りやく)に痛(いたつき)も怠らめ、または保養にもなりなんとて、下部(しもべ)の男女を添て、かの地にそ趣(おもむか)せけり、女子どもは心なく、広(ひろ)らかなる野道に、たはれの浮咄(うはきばな)しも小露は心に染(そま)ず、路草(みちくさ)の花撫子(なでしこ)の美しき色にも、思ひ出せる君の面影忘れ草の忘れねばうらめしく、往来(ゆくとく)との群集の中にも、もしやあが思ふ君に俤(おもかげ)の似たらん人や有と、かなたこなたを見れど思ふ花にくらぶれば、みな深山木(みやまぎ)の心地して、花のあたりの翌桧(あすなろふ)、いと淋しうおもはれ、只鬱(うつ)々と打しほれけるが、其日は比企(ひき)の野の里に宿(やどり)を求、明る日御堂(みどう)に参りけるに、参詣の老若、旦(あした)よりとだゆる事なく、境内門前に至りては所せきまで立こみ、已(おの)がさまざまに物鬻(ものひさぐ)あり、見物には蛇つかふ女、猿の輕業など、其盤昌言もさら也、小露は御堂に至り、佛前に額突(ぬかづき)、思ふ人に回りあはん事を願(ねぎ)ごとし、今は帰路にぞ趣(おもむき)ける、時に松原の内より、同じ風俗悪者ども三四人つと出て言やう、最前我とく見て置たり、何とよきしろものならずや、今轡屋(くつわや)に売ば是々に成べしと、胸の算盤合図(そろばんあいづ)の咳(しはぶき)、むらむらと立かかり、矢庭に小露をかき抱き去らんとす、是何者なれば、この程この所の賑ひによき事せんと入こみし昼鳶(ひるとび)どもなりすり也 又ふうとも云下部の男女大に驚き、やらじとささへるを突退蹴飛(つきのけけとば)し、一さんに走しり行、附(つき)々はみな女子供、男とては老人のみなれば、散々(さんざん)のめにあふて如何とも只得(せんすべ)なく、狼狽叫(あわてふためきさはぐ)ばかり也、かかる所へ是も参詣の者と見へて、年の頃四十余の男走來り、かの悪者供を打ちらし、娘をもぎとりかたへにおしやり、一人をとらへ、汝等斯狽藉(かくろうぜき)して物にせんと目論(もくろ)まば、首の継目の細(ほそ)るべし、きと慎めと言懲(こらし)、取たるままに突倒せば、戻(もど)りを打て二三間転(まろ)び伏(ふし)、土にまみれて〓堀埋(おとがいほりうづ)み、鼻血を出し、又取つく殘の奴原(やつばら)投ちらせば、放(ほう)々にして起も上らず、面(おもて)をしかめ膝頭に唾をぬりて、漸々に起返りて言様(いふやう)、今日はする事なす事仕合悪(しあはせあし)く、先には金銀(かね)ありげなる鼻紙入は取かへされ、又能玉(よきたま)得たりと思ひしに、是もむだ事、我は見よ、鼻は蘇枋鍋(すほうなべ)踏かへしたる白猫のやふなるさま、汝等は血の池を瀬踏(せぶみ)してやった密夫(まおとこ)のよふに、腰から下は血みどりちがひ、幸(さち)なき時はかくまでに有ける、と心ほそげに呟(つぶやき)つゝ、かの男を見かへり見かへり、〓跛引ずりて逃去りけり、さればこの悪者どもの出生を尋るに、中に一人頭(かしら)めきたるは、是則(これすなはち)先の年、駿河の国にて穂村十市良を殺したる駄太平也、其頃この事誰知る者もなかりしが、天命いかでゆるすべき、誰言ともなく終に顕れ、その地に住居ならず、方々と惑歩行(まどいあるき)、悪心いやましてさまざまの悪事をなしぬ、後々の身の行(おこなひ)、覺束(おぼつか)なし、末々の巻を見て、その報ある事を知るべし、されば小露主従は、斯危(かくあやう)き難をのがれ大に喜び、かの人に向ひ言けるは、君は何国如何(いづくいか)なる御方にてましますや、後に尋参らせ、今日の御恩を謝し申さん、御名所(なところ)をきこへたび給へ、と言ば、かの男言、人の難儀を見てしらず顔にて過へきや、孟子の曰(たまはく)、孺子(じゆし)まさに井に入らんとするを見ては、皆〓惕惻隠(じゆつてきそくゐん)の心あり、さる事なきは人にあらずと也、かばかりの事をなして、いかで謝を受るの心あらん、といらへば小露深く感心し、世にはかほどまでの信人(まめびと)も有ものかな、さる御心ばへ有のに、あながちに問ひ参らするも心なきに似たれども、人として礼なきは禽獣(きんじう)にひとしといへり、斯厚(かくあつ)き惠を受、そが儘に止に忍びず、と頻(しきり)に問へど男うけひかず、御縁あらば後に逢もしなんとて、其場を別れ去りたりけり、されば小露主従は只得(せんすべ)なく、この所を打過て帰る道筋、狹山(さやま)と言所に大なる湖水あり、是を狭山の池と言、又冬ふかみ箱の池べなど、歌にも読て箱の池ともいへり、この池の辺(ほとり)に至り、池面を詠(ながむ)れば、水滿々と常に濤(おおなみ)うち、ひろき事六里余六町一里深さ千尋(ひろ)とも言つべく、涼風(すずかぜ)に身をまかせ、柴など折ひしぎてしばし休らひ居たりしが、小露頻に眠けつき、北山に雨もつ雲の日癖(ひくせ)かは、眉さへかゆけの風情なり、袖にも墨のつきづきは、いざ御帰と急しつる女子人に恋らるる時眉根かゆし、又袖に墨つくと云り、後に知るべし程に、夏の習ひとは知りながら、池のほとりより俄に風起り、空頻(しきり)にかき曇、稲妻ひらめき、雷(はたたがみ)しうしうと鳴響、夕立雲の今にも降來なんとすれば、主従里に近つき家を求、笠宿(かさやどり)せんと、ある枝折戸(しおりど)に案内を乞へば、主(あるじ)の女房信(まめ)々しくうけひきて先々とて内に伴ひ、さまざまと饗応(もてな)しける時に、雷夥(いかづちおびただ)しく、風雨はげしく、暫く籠(こも)り居たりけるが、小露は大に氣分悪しく、心重々げに見ゆれば、今宵(こよい)宿るべき所縁(ゆかり)の家もあれど二十丁に余れる道なれば、主(あるじ)の女房にこの事を語れば、女房言けるは、今日は夫も他行(たぎやう)して家にあらざれど、斯(かく)と申さばさのみ否(いな)とも申まじ、見苦しくとも宿り給へといふに、主従大に喜び、其日はこの家に宿りけり、兎角(とかく)する間に日も暮なんとする頃、今戻りたり、と内に入人あり、何人なれば是主の男也、小露是を見るに、先に難儀を救ひくれたる男也ければ、大に驚き、走出て対面し、扨(さて)は先程の恩人は、この家の御主人にてましますや、といへば主も今は包にもよしなくて、我はこの主(あるじ)、狭山の治右衛門(じへもん)と言者なり、と初て語れば、小露主従は再生(さいせい)の恵に預り、夕立の雨宿り、思はずも又回り逢(めぐりあひ)つる事、よくよく深き縁(えにし)なるらめ、是彼(これかれ)不思儀の仕合(しあはせ)と、其夜は四方山(よもやま)の物語して伏しぬ、翌日(あくるひ)治右衛門は布田右衛門方迄娘を送り届ければ、布田右衛門夫婦、治右衛門が志を感激し、是より相互(あひとも)に往來(ゆきかよひ)して、わりなくぞ交らひけり