蚕の卵を生みつける小画用紙ほどのもの。明治33年(1900年)以降、微粒子病予防検査のため28蛾枠(がわく)になった。種紙には化性、品種、記号、製造年月日、製造者住所、氏名を記入する。28区分のもののほか、平付(区分なし)があった。
2.雌雄鑑別器(しゆうかんべつき)
蚕種業者が、蚕の種をとるため、めす、おすを見分ける道具で、明治から大正初期まで使われた。枠に繭を1粒ずつ入れ、明るい光にすかして、中のさなぎの大きさを調べる。大きい方がめす、小さい方がおすである。なおこれでさなぎの病気も少しはわかった。
3.自動雌雄鑑別機(じどうしゆうかんべつき)
大正期には自動雌雄鑑別機が用いられ始めた。これは繭の重さによって中にいる蛹(さなぎ)のめす、おすがふり分けられるものである。さらに四齢期以上の蚕の生体鑑別も鑑別士によって行われるようになった。
4.蚕種保管箱
高温、湿気をさけるため、なるべく桐の板を用い、竹ヒゴで一枚一枚、間をあけ種が重ならないようにした。まわりに和紙をはる。さらに杉、松などの板で作った外箱に収め保管または運搬した。(土蔵、風穴、冷蔵庫などへ)
5.顕微鏡
主に蚕の微粒子病検査に用いられた。蛾(が)をすりつぶして液を600倍ぐらいの顕微鏡で調べるとわかった。立川の蚕種検査所で行うが、西川製糸の蚕種部などでは自治検査所をつくって、そこでも検査していた。