嶋田成徳(明治9~18)拝島、榎本広輔(明治17~明治末)拝島、神山瓊三郎(けいざぶろう)(明治27年~大正初)拝島、中村佐一郎(明治17~大正2)大神、博信社(石川国太郎、中村半左衛門、石川武兵衛の共同経営(明治29~40)大神、西川伊左衛門(明治26~昭和14)中神。
明治9年創業の嶋田製糸は全国的にみても早いが、あまり長続きしていません。中村製糸は大正2年、熊川の森田製糸の支店となりますが、森田製糸は昭和初年まで続いたので、それと同じでしょう。西川製糸は明治26年から発展の一途をたどり、全国屈指の大工場となり、「最盛期には中神工場だけで従業員500人ぐらい。大正の終りから昭和の初めごろまでに周囲の8軒を移転させ、3倍ぐらいの大きさになった」と「昭島の昔語り」に記されています。
大正15年、農商務省の全国製糸工場調査では、工女194名、年間使用繭60,672貫(約227.5トン)生糸生産高6,108貫(約22.9トン)とあります。八王子分工場、山梨工場、松田工場(神奈川)などの分工場を経営していました。小金井市の江戸東京たてもの園に移築されている西川家別宅は大正7年、接客のために建てられたものでした。
戦時中は軍需工場になり、戦後は織物工場も経営してきましたが、今はマンションに変わっています。
西川家からは、一般民具のほか、製糸会社当時の多くの品を寄贈されています。社旗、株券、油箪、製糸釜(小)、特殊容器、梱包用糸、糸網、工女の繰糸成績グラフ(掛図)、絆天、手甲、脚絆、手拭、湯のみ茶碗(名前入り)諸帳簿類などです。
西川製糸の法被