[一元治元年子八月日和佐]

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[翻刻]

一元治元年子八月日和佐
 御陣屋江相詰居申節土州
 郷士清岡道之助と申者為
 頭都合弐拾三人、御国宍喰江
 越境有之其節相勤候
 御用左之通
 八月二日夕六ツ時日和佐御役処
 より急々呼懸ニ付罷出候処、此
 度土州より胡乱者御国内江
 立越候様子ニ付、那賀郡
 雄村江即刻出張可致旨被渡
 申、尤右脱走人共手向等ニ
 相及候義ニ候得者繋取候而も
 不苦様ニ申渡夜分山中義ニ付
 為案内弐人相渡呉即刻
 堀北幸之助・金山基三郎
 二人雄村江罷越、右村内始

 
[現代語訳]
一元治元年(1864)八月に日和佐の外国船警備のための陣屋に居たところ、土佐(高知)の郷士の清岡道之助ら二十三人が宍喰から越境してきたとの連絡があり。
八月二日夕方の六ツ時(六時頃)に日和佐の役所から急いで来るように言われたので行ったところ、土佐よりうさんくさい者が阿波の国に入り込んで来たので、那賀郡雄村へすぐに行くように命令されました。
この者達が手向等した時はからめとるように言われました。
出発の時刻は、夜であり山中を歩くので案内人二人を付けてくれて堀北幸之助と金山基三郎の二人が雄村へ行きました。
右の村内を始め