[歌詞一]

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歌詞一、梅に誘われ 桜にひかれ さぬき治めた 菅公さんを
    いまも慕(しと)うて 人の波…
 
 菅公(かんこう)さん(菅原道真(すがわらのみちざね)、平安初期の人、845年6月25日~903年2月25日)
 父祖三代続く学者の家に生まれ、その資質(ししつ)を受け継ぎ、学問に秀で、歌人としても才能を開花させました。また官僚、政治家としても力を発揮(はっき)しました。41歳の時、讃岐の国の国司となり、4年間の善政の後(のち)、都に帰りました。当時の第一級の人物であった道真は天皇の信任(しんにん)厚く出世して政治の中心的立場になりました。道真の急な出世をねたんだ藤原一門により、無実の罪をきせられ、九州の大宰府(だざいふ)に流され、悲憤(ひふん)の中に亡くなります。その後、都で不吉なことが起こると、道真の祟(たた)りではないかと恐れられ、恨(うら)みを鎮(しず)めるために神として祭られるようになりました。道真は非常に学問にすぐれていたので、学問の神様としてあがめられるようになりました。