十一代垂仁(すいにん)天皇の御代(みよ)(西暦300年頃か?)菅公(かんこう)さんの先祖である野見宿祢(のみのすくね)は出雲(いずも)の国より召(め)され、大和(やまと)の国の豪族で暴勇不遜(ぼうゆうふそん)な當麻蹴速(たいまのけはや)と天皇の前で相撲を取り、これを倒して蹴速(けはや)の所領(しょりょう)を賜(たまわ)って大和の国に住むようになりました。これが日本の相撲の始まりとされています。
垂仁天皇の皇后が亡くなったとき、これまでは殉死者(じゅんししゃ)を生きながら埋葬(まいそう)することが行われていましたが、野見宿祢(のみのすくね)は殉死(じゅんし)の人に替えて土偶(どぐう)を埋葬することを献策(けんさく)し、天皇は喜んでこの策を取り入れました。これが埴輪(はにわ)の始まりであり、その功により土師臣(はじおみ)の姓を賜(たまわ)りました。