「うそ鳥」の姿の奥に見えるもの

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 右の写真は大宰府天満宮の「うそ鳥」です。特徴の一つに羽を表しているクリクリのカールがあります。

[うそ鳥]

 この部分の技法を「削りかけ」と呼んでいます。
 この「削りかけ」にはどのような歴史があるのでしょうか?
 古代農耕文明を持った人々は、何よりも作物の豊作と子孫の繁栄を神々に祈りました。そういう神事の時、神様の使いである山人(やまびと)が里に訪れ、持ち来た杖で地の神を鎮(しず)めたり、春の到来(暦)を告げること等を行いました。神様の杖(つえ)(万葉に出てくる玉ぼこ、玉づさ)は、神が来た徴(しるし)として置いて帰ります。その杖の先は神事などで割れ、いかにも花が咲いたように成ったと言います。この杖先の様子に倣(なら)って木を削ったものが、「削り花」とか「削りかけ」と呼ぶようになりました。「削り花」「削りかけ」は稲穂に通じ豊作などを祈願する象徴となり、また御幣など神具として利用されました。

削掛け(右 栃木県、左 東京都大島町)(民俗学研究所 1953)

 平安時代の宮中にも掛けられたという記録があります。
 農作物の出来、不出来は人の知恵を超えるものでした。こうした不確定な物ごとに対して人々は、神仏の託宣(たくせん)を求める「年占(としうら)」が広く行われました。
 この託宣の媒体として「削りかけ」や、それが変化した「玉」、「神木」「うそ鳥」なども使われました。
 鷽替えの「替え」は、神様や代理人が置いて帰る「杖」と、自らが作った「削りかけ」とをすり替える、または交換によってその持ち主になろうとするのが原型と考えられます。
 
 つまり「うそ替え祭り」は、
 山からのお贈り物の木に「削りかけ」という技術を伝承し、郷土玩具(がんぐ)としての価値を付加(ふか)させたのが「うそ鳥」であり、それを用いて「豊作への祈りと招福の主を目指す」という年占神事の一種であることが見えてきます。

鷽みくじ(滝宮)