西行法師(さいぎょうほうし)と昼寝の岩

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 北面(ほくめん)の武士(院を守る武士で、院庁の北面に設置された)であった佐藤教清(さとうのりきよ)はすぐれた歌人でもありました。朝廷内のみにくい権力争いに無常(むじょう)を感じ、保元の乱が起こる前年に全てを捨てて出家し、放浪(ほうろう)の詩人西行法師となります。
 崇徳院が無くなって3年後、讃岐に来て白峰に参り、かっての君主であり、旧友であった院を弔ったと伝えられています。また、院ゆかりの滝宮にも足を進め、綾川の急流の滝を見て歌二首を詠み、岩の上でくつろいでしばし昼寝をしたと伝えられた「西行昼寝の岩」があります。(滝宮神社の西50メートルに一段下がった台地があり、土地の人々は通称「下(した)の宮(みや)」と云う所)
  「自(おの)ずから 岩にせかれて 諸人(もろびと)に 物思はする 綾川の水」
  「波を見る 花のしす江(しずえ)の 岩枕 滝宮にや 音よとむらん」
  この二首とも崇徳院をしのびながら詠んだような香りがします。

西行法師昼寝岩