関連事項 南無阿弥陀仏の大のぼり

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 南無阿弥陀仏の大のぼりを立て、ナンマイドーヤと念仏を神社で唱えていることに、違和感はありません。そうすることは、日本固有の宗教観(しゅうきょうかん)であり、神仏習合(しんぶつしゅうごう)(本地垂迹説(ほんちすいじゃくせつ))によるものです。それは、神への信仰と仏教信仰を融合調和させる独特の宗教観です。神様は仏様を守っているものとするもので、奈良時代に始まり、明治維新直後まで、日本では普通のことでした。滝宮神社は明治まで滝宮牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)と言われ、牛頭天王と薬師如来を祀(まつ)っていました。
 1868年(慶応4年)に明治政府の宗教政策で神仏分離令が出されて、神道国教化のため神道を仏教から独立させ、神道を優位に置きました。そうする中に、各地で寺院や仏像の破壊など廃仏棄釈(はいぶつきしゃく)などまで伸展していき課題を後世に与えています。滝宮でも龍燈院(りゅうとういん)は廃寺となり、牛頭天王社も仏教色は除かれて、須佐之男命(すさのおのみこと)を祭神とする滝宮神社となり、牛頭天王像は、天満宮資料館に大切に管理・安置されています。しかし、地元では現在でも、滝宮神社を通称の「てんのうさん」と呼び昔の姿を伝え残しています。
 ナンマイドーヤと声高らかにあげる念仏踊りの声は、地域の人々の熱い心の想いが、先人の偉業やその徳に感謝するとともに神仏への畏敬(いけい)の気持ちが声となってほとばしり出たものと考えましょう。

正徳の昔(一七一一年)から踊り場にたて続けられている北村組の幟