歌詞五、黄金(こがね)波うつ 実りの秋は 忘れられよか 太郎右衛門さんの
汗と涙の物語…
久保太郎右衛門(くぼたろううえもん) (1676年2月24日~1711年7月23日)
江戸時代前期から中期の治水家で、萱原(かやはら)用水を造った水の先覚者です。高松藩の阿野(あや)郡萱原村(現在綾川町萱原)に生まれ、20歳で萱原村の里正(りせい)(庄屋)となりました。1703年(元禄(げんろく)16年)、干ばつに悩む農民を救う道は、豊富な綾川の水を山田上正末(まさすえ)から約14kmにも及ぶ用水路を掘削(くっさく)し、萱原まで水を引いてくる大工事以外にないと考え、実行しました。
これには、藩主の許可、測量、水の利権、岩石を掘削する工事の困難性、人夫の費用など、幾多の難関がありましたが、私財を投げ打ち、わずか70日という短期間で完成させました。
この萱原(かやはら)用水の大恩恵(だいおんけい)により、萱(かや)が生い茂っていた当時の萱原地区に稲作が可能となり、干ばつに苦しんでいた農民は救われました。そして、18ha(ヘクタール)程度しかなかった水田の面積も、綾川町萱原、滝宮、陶地区を合わせると、今日の約250haへと広がり、大発展をとげることができたのです。