土地は肥沃(ひよく)なものの、萱原地区は地勢が高く、近くの河川である綾川は10m以上も低いところを流れています。干害のため、不植田や田植後に稲を刈捨てるようなことが6年も続くことがあり、飢え死にする農民もたくさんでたそうです。当時の取水の取りだめ方法は、河川に井関を設け、池までの掛井手(用水路)を建設し、川水を取水する方法が一般的でした。
河川には多くの井関が設けられており、これらの既得(きとく)水利権との調整は困難を極めました。例えば、掛井手を建設する際には、まず既得の水利権者の同意が必要であり、工事の難易度と資金(工事に携(たずさ)わる人夫の手当等)との調整ができて初めて建設が可能となるのです。