当時の技術から考えると、その作業は筆舌(ひつぜつ)に尽くせぬ難作業であり、藩からの費用の負担もあり、工事の指揮は普請奉行が来たものと考えられます。また、長い水路であるため、水漏れもあちらこちらで起こります。工事完成の後も、太郎右衛門は関係農民に対して金銭や敬意を怠らず配慮し、自分の財産を投げ売って、何度も手直しの工事を続けました。
[久保太郎右衛門が作った萱原用水と現在の萱原用水]
萱原用水は、今日の萱原、滝宮、陶の地域の水田250haの用水源となっています。
当時の萱原地区の田は18ha程で、1768年頃には42haに広がり、現在にいたっています。
(1ha=100m×100m=10,000m2)
①現在の取水地 山田上正末(まさすえ)
②現在の大羽茂(おおはも)池