萱原用水完成の4年後、1711年(正徳元年)7月23日、私財を投げ打った太郎右衛門は工事中の過労がたたったのか、体調を崩して床に伏すようになり、36才という若さで亡くなります。村人は、1732年、太郎右衛門の霊を大久保神社に共に祀りました。
③ 太郎右衛門のお墓
④ 大久保神社
久保太郎右衛門の子孫(久保利三郎(としさぶろう))は、明治に屯田兵(とんでんへい)として北海道秩父別(ちっぷべつ)町に移り住み、農業を始めました。このことが縁となって、昭和54年9月8日に綾川町(旧綾南町)と秩父別町は姉妹町となり、現在に至るまで毎年交流を続けています。
また、久保太郎右衛門の業績により、萱の原が美田となり、その恩恵を受けた田井(たい)、陶畑(すえばたけ)の自治会の人々と萱原用水の関係者は、久保太郎右衛門の子孫が当地を去ったその後も、久保太郎右衛門の命日に近い日曜日に墓前に集まり、菩提寺である妙円寺の住職を招いて法要を行っています。300年も前に亡くなった恩人の偉業に感謝し、現在に至るまで、毎年の法要が子々孫々受け継がれ、続いているということは特筆すべきことです。
各時代においても水路の改修工事が施(ほどこ)されます。1915年(大正4年)には、今の滝宮小学校の横を通り、32号バイパスの下を通って萱原下に届く用水が整備され、1966年(昭和41年)には、全面的に改修工事が行われました。
萱原用水のお陰で広がり続けてきた田は、現在では、道路や住宅の建設で、かなり少なくなってきています。