⑤ 久保太郎右衛門彰徳碑
(原文漢文)
(香川県立農業経営高等学校 長尾徳水先生和訳)
題額 徳(とく)を積(つ)み仁(じん)を成(な)す 香川県知事
「君の姓は大久保太郎右衛門と称す。讃州綾歌郡萱原の人なり。延宝4年2月24日を以て生れ、正徳元年7月23日病没す。中略。君は里正となり、専心民を済(たす)く。土地灌漑(かんがい)に乏(ぼう)し、一旦旱年(かんねん)にあえば穀(こく)実らず民飢餓(きが)をうったう。君常に憂苦し遂(つい)に綾川上流正末、大羽茂池間の疎水工事を経画す。程のほど三里十八丁なり。藩庁の普請奉行に上書して許されず。乃ちこれを藩主松平頼豊に致して忽(たちま)ち獄に繋(つな)がる。其の妻女を抱(いだ)き子を拉(ひ)き遠路を辞(いと)はず日に金比羅祠(こんぴらほこら)に参りて釈免(しゃめん)されかつ良人の志業の成就(じょうじゅ)を祈る。また村民君を慕うこと尚父母の如し。藩老大久保主計に謁(えっ)し事情を陳疏(ちんそ)するに至り声涙ともに下る。藩老これを諒(りょう)として即ち藩公に達し罪を免じ請(こ)いをゆるす実に宝永四年正月十一日なり。君その志に感激して家資を指(わ)け公益を図りその月起工す数月を経て竣工(しゅんこう)する。闔郷(へいごう)歓喜せし時より、その後二百余年を経。村人君を思いてわすれず。かつて君を祀(まつ)りて水神と称す。まさに石に靱(じん)し徳を彰せんとす。中略。昔は民飢餓に泣き今は腹を鼓(こ)し家ゆたかに戸給す。近日其の耕地整理組合成る。村民田有る者429名の多きに至る。乃ち事実を詮し係銘(けんめい)を以て曰く。後略。」