町史は1969年土地分類基本調査(経済企画庁)により、滝宮周辺の山の成り立ちは、鞍掛山、大高見峰など多くがビュート説をとっていますが、長谷川修一香川大学教授は溶岩の柱状節理(ちゅうじょうせつり)の状態や、基盤岩との接触面での分析から大部分のおむすび山は③の火山岩頸によるものとしています(2013年)。
綾川町は讃岐七富士の高鉢山(たかはちやま)、堤山(つつまやま)の二山を持ち、さらに十瓶や鞍掛山などおむすび山に囲まれた穏やかな盆地です。綾川は雨量の少ない地域にあって命をつなぐ水流です。またこの地域の自然は、バランスの良い安定した生態系を保ち、私達の自然環境は恵まれたものと言えるでしょう。
滝宮では、歌詞にあるように東の鞍掛山から朝日が昇り、西の横山に日が没します。太陽と山、そして多くのため池が織り成す景色のコントラストは大変美しいものです。讃岐の、また、滝宮のこうした美しい情景をこれからも守っていかなければなりません。
また滝宮は讃岐の国の地理的な中心(国分石(こくぶいし))で、東西南北に延びる交通の要衝(ようしょう)でした。天満宮門前で毎月八日に開かれた市には、海の幸は主として丸亀から、農耕用の優(すぐ)れた道具は徳島から運ばれ、果樹や苗もの、生活用具などの商品で賑(にぎ)わいました。(今は四月のうそ替え祭りにその面影を見ることが出来ます。)
さらに金毘羅街道(こんぴらかいどう)の宿場町として十三塚と共に栄えた歴史を持っています。その背景は地理的条件と同時に滝宮神社や龍燈院(りゅうとういん)、天満宮の存在は大きく、近代交通の発達以前の、経済、交通、文化などの集積と交流の中心的地域だったのです。