小麦をもって水車へ行くと、店の人は小麦を手のひらにとって乾燥状態を調べてから、重さを、さおばかりで計って長櫃(ながひつ)からうどん粉を取り出して、小麦の量に応じた粉を渡します。多くの農家は牛を飼っていたのでコカス(小麦の皮)も、購入していました。
交換比率は、小麦の重さのおおよそ65%の粉を渡していたようで、実質的な製粉量は70%くらいであったから、この差とコカスが水車の利益でした。
讃岐ではお祭りや法事には昔から必ずうどんがでていて、このようなときには、近隣から多くの注文があり、夜遅くまで、機械うどんを作っていました。
小麦を持って替え粉に来る人は、水車までの道が細く坂道なので、小麦を肩に背負ったり、自転車の荷台に縛(しば)ってきていました。
粉を受けとった後も、のんびりと、上がり端(はな)で、世間話をしたり、時には水車の仕事を手伝ってくれる、そのようなのどかな時代でした。