北野天満宮 京都市上京区馬喰町(ばくろちょう)

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 942年(天慶3年)、菅原道真の怨霊(おんりょう)が右京七条に住む多治比文子(たじひのあやこ)という貧しい娘の夢枕(ゆめまくら)に立ち、「北野の右近(うこん)の馬場に祠(ほこら)を建てよ」と云ったそうです。北野には以前から農業の神として火雷天神(雷は水をもたらす水神であり、竜の姿をして農耕を助ける神)が祭られていました。
 さらにその4年後、今度は近江国比良宮の神官、神良種(かんのよしたね)の子太郎丸にもお告げがあり、驚いた良種は右近の馬場の朝日寺の僧、最鎮(さいちん)らに話をし、文子の一族を始め、寺主満増(みつぞう)らと協力して社(やしろ)を建て、道真の霊を祀(まつ)ったのが北野天満宮の始まりです。
 959年(大徳2年)右大臣藤原師輔(もろすけ)(忠平の子)が社殿を増築、987年(永延元年)一条天皇の命令で祭りが行われ、「北野天満宮天神]の称号を得ます。
 その後、北野天満宮は荒ぶる祟(たた)り神から多彩なご利益(りやく)を与える神へと変貌(へんぼう)し、詩文、学問の神として崇拝(すうはい)を受けるようになり、さらには和歌や連歌の守護神として多くの歌人から和歌の奉納を受け、室町期には北野連歌会所が設けられました。1587年(天正10年)境内で豊臣秀吉が「北野大茶会」を催したのは有名です。
 現在の社殿は豊臣秀頼が造営した「八棟造(はちむねづくり)」という構造で国宝です。宝物館には「北野天神縁起絵巻」(国宝)古写本「日本書紀」(重要文化財)があります。
 毎月25日の縁日は「天神さん」という骨董市(こっとういち)の日で古美術から古着まで掘り出し物を探してたくさんの人が押し寄せ、特に1月の「お初天神(はつてんじん)」、年末の「終(しま)い天神」は千店余りの露店が出て大賑(おおにぎ)わいです。2月の「梅香祭」は梅の匂いの中で上七軒(かみしちけん)の芸妓(げいこ)さんたちによる野点(のだて)の茶がふるまわれます。