道真は生まれた日も亡くなった日も25日なので神社の縁日、催事は25日が多いようです。
[梅鉢紋]
・「菅家文草(かんけぶんそう)」
900年(昌泰3)8月、醍醐帝が道真の屋敷にお成りになった時、道真が帝に献上した12巻の自作の詩と文の書。
1~6巻 469首の詩 7~12巻 159の散文(奏状(そうじょう)、詔勅(しょうちょく)、願文(がんもん)など)
道真が11歳で初めて詩を作った時からこの春までの45年間の作を自分で編纂(へんさん)し、年代順に配列されており、道真の心の軌跡(きせき)を読み取ることが出来る。
・「菅家後集(かんけこうしゅう)」
大宰府に流されてからの詩46首を道真が死の直前に紀長谷雄(きのはせお)に贈ったもの。
1,100年前の書が完全な形で現代まで残されて伝わっていることは珍しいことであり、この二つの詩文が道真を知る上で有力な手掛かりになり、学問の神様として崇敬される根拠になっていると思われます。
・松恵神社(まつえじんじゃ)(お藤天神) 香川県綾歌郡綾川町北 (氏子 有岡、前川原)
道真が国司として讃岐にいた時、有岡の地に別荘館があり、時々遊びに来ていたそうです。伝承では、この地にお藤さんという女性と仲良くなり、綾川の岸辺に立派な枝振りの大きな松があったそうで、その松の下で二人が語り合ったり、魚釣りをして遊んだりしました。道真が衣を松の枝に掛けたのでその松がご神木として祀られています。