万塚(まんづか)の由来

40 ~ 40 / 52ページ

北地区 西の山の万塚

 万塚は、北村の御山神社(おやまじんじゃ)の北方の丘陵地(きゅうりょうち)にあります。
 塚の全てに遺骸(いがい)が埋葬(まいそう)されているわけではありませんが(下記、関連事項参照)通常、家や戸主が守り伝える私的な墓ではなく、広く万人が弔(とむら)うような墓を指しています。
 万塚のいわれには諸説ありますが、詳しいことは分かっていません。万塚の北側にある岡(おか)の御堂古墳(みどうこふん)(小学校西)や羽床古墳群が周辺にあり、それらの古墳群を集めて万基の塚があったため万塚と言われるようになった説や、これまで沢山の戦で消えた兵士や、無念をもって亡くなった有力者などを埋葬することで、荒ぶる神にならぬよう多数の霊を慰めるため塚を建て、地域の人々が慰霊(いれい)した場所とも伝えられています。