俵百長者  ~地域に残る昔話です~

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俵百(ひょうひゃく)自治会付近

 その昔、北村に信心深くお金持ちの男の人が住んでいました。この男は若いころ、八栗さん(牟礼町)にお参りして、お守りとして聖天(しょうてん)さん(下記、関連事項参照)の「こより」一本を頂いて帰りました。その「こより」を奥の間の長びつの中に祭り、供え物をして朝夕、参拝を欠かしませんでした。
 何年かたつうちに、いつの間にか長びつの中の「こより」が大蛇になっていました。男は以前と変わらず毎日、丁寧に拝んでいたところ財産が次第に増えていきお金持ちになっていきました。蔵の中には、いつも米が百俵入っておりこれをすべて売(う)り尽(つ)くしても、翌日には百俵の米で満たされていました。
 このことから近所の人たちは、この男を「俵百長者(ひょうひゃくちょうじゃ)」と呼ぶようになりました。
 しかしその後も長びつの大蛇は、ますます長く、しかも太くなっていきました。暖かい日には蔵の俵の上で昼寝をしたり、母屋と蔵の屋根を、うねりながら渡ったりするなどしたので家人が気味悪がり、とうとう大蛇を殺してしまいました。
 それからというもの、長者の家は衰亡(すいぼう)し貧しくなってしまったそうです。
 長者と大蛇の墓は、いまも町内に残されていると言われ、北村には今も「俵百」と呼ばれる自治会名が残っています。