八栗寺(やくりじ)
屋島の東、源平の古戦場(こせんじょう)を挟(はさ)み標高375mの五剣山があります。地上から剣を突き上げたような神秘的な山です。天長6年、弘法大師がこの山に登り求聞寺法(ぐもんじほう)を修めた時に、五振りの剣が天から振り注ぎ、山の鎮守蔵王権現(ちんじゅざおうごんげん)が現れました。そして「この山は仏教相応の霊地なり」と告げられたので、大師はそれらの剣を山中に埋め鎮護(ちんご)とし五剣山と名づけられました。五剣山の頂上からは、讃岐、阿波、備前など四方八国が見渡すことができたので、もともと八国寺という寺名でした。延暦年(えんりゃくねん)中、大師は唐へ留学する前に、再度この山に登りました。そして仏教を学ぶ念願(ねんがん)が叶(かな)うかどうかを試すために8個の焼き栗を植えられました。無事帰国し、再び訪れると、芽の出るはずがない焼き栗が芽吹いていました。これが八国寺を八栗寺へ改名した由来です。この寺も長宗我部元親による八栗攻略の兵火により全焼しました。しかし、江戸時代に無辺上人が本堂(三間四面)、さらに高松藩主松平頼重が現在の本堂を再興、弘法大師作の聖観自在菩薩(しょうかんじざいぼさつ)を本尊として安置し、観自在院(かんじざいいん)と称するようになりました。五剣山は、1706年(宝永3)に、大地震に遭(あ)い、昔あった五つの嶺(みね)のうち、東の一嶺(ひとみね)が中腹より崩壊し、現在の姿になりました。
尚、この寺は「八栗の聖天(しょうてん)さん」とも呼ばれています。
聖天さんは、いろいろな願を叶える力も強いけれど、反面、約束を守らなかったりすると、大変恐ろしい神さまだとも言われています。俵百長者もこの話につながるのかもしれません。