1 はじめに

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 文明の流れは川の流域から生まれ、また川は文化・文明を運ぶ。
 全長38.213キロメートル、その綾川の中流に位置する綾川町滝宮とその周辺は、古くから拓かれた文化の中心であった。
 そのことを証明するかのように国道32号線南側に点在する数多くの古墳郡(滝宮小学校運動場に残る岡御堂1~3号古墳郡等)、また北側にはこれまた数多くの窯跡、そこで発掘された埋蔵品や炭化米、それはこの地方が4~6世紀頃すでに相当栄えた土地柄だった証明である。
 7世紀になって行基菩薩、8世紀に弘法大師空海・智泉大徳、菅原道真、11世紀崇徳上皇・西行法師、13世紀法然上人等がこの地をこよなく愛されて、それぞれの足跡を刻まれている。
 それらの時代の交通運輸に綾川の流れは大きく寄与したことだろう。
 すなわち、往古の綾川はその源の阿讃山地など未開の森林から流れ出る雨水をたたえて満々として羽床堤山の麓で右折して滝宮で渓谷となり、それから以北の下流は、常時小舟で往来できたであろうと思われ、また陸路の幹線南海道もわずか4.7キロメートル下流の府中で綾川をよぎり水路との交流を重ねたものと思われる。
 このように考えると、この地方で産出された陶器、絹織物、米などの貢ぎ物がこの川を下り、日本文化の花が川を遡(さかのぼ)り、華やかな文化・文明の聖域だったことが偲(しの)ばれる。
 その中心が龍燈院であり、この龍燈院を中核として西に滝宮神社(牛頭(ごず)天王社)、東に滝宮天満宮の荘厳なお社が建立されていたのである。
 現在は、龍燈院と表示された石碑が残るのみである。