付記

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 1 讃州阿野郡滝宮村北山龍燈院縁記略記を補筆・編集されたのは享保13年(1728年)の春、龍燈院第40代快厳住職の求めに応じて、紀南山金剛峰金剛三昧院沙門聚勝住職である。
  その地は龍燈院初代住職智泉大徳の墓所があると伝えられている。
 
 2 最初に記したように、龍燈院を中核として、西に滝宮神社東に滝宮天満宮の荘厳なお社があったが、龍燈院については、石碑が残るのみである。
 
 3 龍燈院第39代門津住職の在位は、1686年(貞享3年)~1718年(享保3年)の33年間であるが、滝宮の偉人久保太郎右衛門が同じ時代を生き抜いており、住職としてまた若き庄屋として、さぞかし多くの交流があったものと偲ばれる。

[龍燈院図]

 
 [※ 龍燈院図 図中の語句の誤り]
 
 p48上×牛頭天皇○牛頭天王
 p48中×神楽殿○薬師堂
 p49上×龍灯院○龍燈院
 p49中×水泉○泉水
 p49中×裏庫○庫裏
 p49中×屋長○長屋
 p49中×山築○築山