序・・・・・・・・・・・・・・・・・(市長 荒木和成)
市制五十年新市庁舎竣工記念式典にあたり
市民へのご挨拶・・・・・・・・・・(前市長 宮内三朗)
総論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一
第一章 自然環境
第一節 地形―台地・低地・海岸・・・・・・・・・・七
第一項 地形の概観・・・・・・・・・・・・・・・七
第二項 台地とその形成・・・・・・・・・・・・・八
第三項 低地と海岸・・・・・・・・・・・・・・一四
第二節 気候・・・・・・・・・・・・・・・・・・一七
第一項 気温・降水量・・・・・・・・・・・・・一七
第二項 季節風と海陸風・・・・・・・・・・・・一八
第三節 自然環境の変化とその対策・・・・・・・・二一
第一項 植生の変化と都市林の造成・・・・・・・二一
第二項 都市林の必要性とその造成・・・・・・・二三
第三項 自然環境の悪化とその対策・・・・・・・二五
第二章 原始・古代
第一節 石器時代・・・・・・・・・・・・・・・・二九
第一項 石器時代の自然と人類・・・・・・・・・二九
1 先土器時代・・・・・・・・・・・・・・・・二九
2 縄文時代・・・・・・・・・・・・・・・・・三九
第二項 石器時代の遺跡・・・・・・・・・・・・五九
1 縄文時代以前の遺跡・・・・・・・・・・・・五九
木葉形尖頭器・・・・・・・・・・・・・六〇
掻器・・・・・・・・・・・・・・・・・六一
有茎尖頭器・・・・・・・・・・・・・・六一
ナイフ形石器・・・・・・・・・・・・・六一
尖頭器・・・・・・・・・・・・・・・・六一
有茎尖頭器・・・・・・・・・・・・・・六一
有茎尖頭器・・・・・・・・・・・・・・六二
木葉形尖頭器・・・・・・・・・・・・・六二
掻器・・・・・・・・・・・・・・・・・六二
2 縄文時代の遺跡の分布・・・・・・・・・・・六四
3 縄文時代の主な遺跡・・・・・・・・・・・・八一
一 縄文早期の遺跡・・・・・・・・・・・・八一
Ⅰ 長作城山貝塚・・・・・・・・・・・・八一
Ⅱ 清水作貝塚・・・・・・・・・・・・・八二
Ⅲ 鶴牧貝塚・・・・・・・・・・・・・・八二
Ⅳ 鳥込貝塚とその周辺・・・・・・・・・八三
Ⅴ 向原遺跡・・・・・・・・・・・・・・八三
Ⅵ 東田貝塚・・・・・・・・・・・・・・八四
Ⅶ 向の台貝塚・・・・・・・・・・・・・八四
Ⅷ 加曽利貝塚・・・・・・・・・・・・・八五
二 縄文前期の遺跡・・・・・・・・・・・・八六
Ⅰ 谷津台貝塚・・・・・・・・・・・・・八六
Ⅱ 駒形遺跡・・・・・・・・・・・・・・八八
Ⅲ 荒屋敷西貝塚・・・・・・・・・・・・八八
Ⅳ 木戸場貝塚・・・・・・・・・・・・・八八
Ⅴ 宝導寺台貝塚・・・・・・・・・・・・八九
Ⅵ 小食土辰ケ台貝塚・・・・・・・・・・九一
三 縄文中期の遺跡・・・・・・・・・・・・九二
Ⅰ すすき山遺跡・・・・・・・・・・・・九四
Ⅱ 廿五里南貝塚・・・・・・・・・・・・九五
Ⅲ 東寺山貝塚・・・・・・・・・・・・・九六
(東寺山南貝塚)・・・・・・・・・・九七
Ⅳ 荒屋敷貝塚・・・・・・・・・・・・・九七
Ⅴ 加曽利貝塚・・・・・・・・・・・・・九九
Ⅵ 蕨立・さら坊貝塚・・・・・・・・・一〇三
Ⅶ 月の木貝塚・・・・・・・・・・・・一〇五
(へたの台貝塚)・・・・・・・・・一〇七
Ⅷ 水砂遺跡・・・・・・・・・・・・・一〇七
Ⅸ 長谷部貝塚・・・・・・・・・・・・一〇八
Ⅹ 菱名貝塚・・・・・・・・・・・・・一〇九
四 縄文後期の遺跡・・・・・・・・・・・一一一
Ⅰ 長作築地貝塚・・・・・・・・・・・一一一
Ⅱ 犢橋貝塚・・・・・・・・・・・・・一一三
Ⅲ 草刈場貝塚・・・・・・・・・・・・一一四
Ⅳ 加曽利貝塚・・・・・・・・・・・・一一六
Ⅴ 多部田貝塚・・・・・・・・・・・・一一八
Ⅵ 矢作貝塚・・・・・・・・・・・・・一一八
Ⅶ 野呂山田貝塚・・・・・・・・・・・一一九
(荒立貝塚)・・・・・・・・・・・一二〇
Ⅷ 築地台貝塚・・・・・・・・・・・・一二一
Ⅸ 六通貝塚・・・・・・・・・・・・・一二一
(六通西貝塚)・・・・・・・・・・一二三
Ⅹ 大膳野北貝塚・・・・・・・・・・・一二四
Ⅺ 有吉貝塚・・・・・・・・・・・・・一二五
Ⅻ 南生実台貝塚・・・・・・・・・・・一二五
(上赤塚貝塚)・・・・・・・・・・一二六
ⅩⅢ 誉田高田貝塚・・・・・・・・・・・一二六
五 縄文晩期の遺跡・・・・・・・・・・・一二八
Ⅰ 犢橋貝塚・・・・・・・・・・・・・一二八
Ⅱ 園生貝塚・・・・・・・・・・・・・一二九
Ⅲ 台門貝塚・・・・・・・・・・・・・一三〇
Ⅳ 加曽利貝塚・・・・・・・・・・・・一三一
第三項 生活と文化・・・・・・・・・・・・一三二
1 縄文時代の衣食住・・・・・・・・・・・・一三二
一 食糧・・・・・・・・・・・・・・・・一三三
Ⅰ 食糧の種類・・・・・・・・・・・・一三三
Ⅱ 食糧獲得の方法・・・・・・・・・・一三七
Ⅲ 調理方法・・・・・・・・・・・・・一四二
Ⅳ 貯蔵方法・・・・・・・・・・・・・一四三
二 住居・・・・・・・・・・・・・・・・一四五
三 衣類と装身具・・・・・・・・・・・・一五一
2 縄文時代の精神生活・・・・・・・・・・・一五四
第四項 社会と集落・・・・・・・・・・・・・一六一
1 貝塚のとらえ方・・・・・・・・・・・・・一六一
一 貝塚は「ごみ捨て場」か・・・・・・・一六一
二 貝塚は集落である・・・・・・・・・・一六二
三 貝塚集落のとらえ方・・・・・・・・・一六四
2 貝塚集落の変遷・・・・・・・・・・・・・一六九
一 貝塚集落の生成期(縄文早期・前期)・一六九
二 貝塚集落の発展期(縄文中期・後期)・一七三
三 貝塚集落の消滅期(縄文晩期)・・・・一七七
3 食糧の確保・・・・・・・・・・・・・・・一七九
一 貯蔵形態の変遷・・・・・・・・・・・一八〇
二 生産形態の変遷・・・・・・・・・・・一八一
4 製塩と干貝加工・・・・・・・・・・・・・一八五
一 縄文時代の土器製塩・・・・・・・・・一八五
二 製塩遺跡の分布・・・・・・・・・・・一八六
三 保存食糧としての干貝・・・・・・・・一八七
5 生産の分業化と交易・・・・・・・・・・・一八九
一 石材の原産地・・・・・・・・・・・・一八九
二 集落間の分業・・・・・・・・・・・・一九一
三 社会的な結合関係・・・・・・・・・・一九三
第二節 弥生時代・・・・・・・・・・・・・・・一九七
第一項 弥生時代の遺跡・・・・・・・・・・・一九七
1 弥生時代の遺跡の分布・・・・・・・・・・一九七
2 弥生時代の主な遺跡・・・・・・・・・・・二〇〇
Ⅰ 新田山遺跡・・・・・・・・・・・・二〇〇
Ⅱ 中の台遺跡・・・・・・・・・・・・二〇一
Ⅲ 星久喜遺跡(批把首台遺跡)・・・・二〇一
Ⅳ 大森第二遺跡(西ノ花遺跡)・・・・二〇三
Ⅴ 車坂遺跡・・・・・・・・・・・・・二〇七
Ⅵ 城の腰遺跡・・・・・・・・・・・・二〇七
Ⅶ 椎名谷遺跡・・・・・・・・・・・・二〇八
Ⅷ 桜木町遺跡・・・・・・・・・・・・二〇八
Ⅸ 弁天台遺跡・・・・・・・・・・・・二〇八
Ⅹ 上の台遺跡・・・・・・・・・・・・二〇九
第二項 農耕の開始と自然環境の変化・・・・・二一〇
第三節 古墳時代・・・・・・・・・・・・・・・二一五
第一項 氏族社会の成立と遺跡の分布・・・・・二一五
1 氏族社会の成立・・・・・・・・・・・・・二一五
2 古墳時代の遺跡の分布・・・・・・・・・・二二三
はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・二二三
一 古墳の分布について・・・・・・・・・二二三
Ⅰ 地域的様相・・・・・・・・・・・・二二三
Ⅱ 時期別の様相・・・・・・・・・・・二二六
二 集落址の分布・・・・・・・・・・・・二三三
Ⅰ 全体的様相・・・・・・・・・・・・二三三
Ⅱ 時期別の様相・・・・・・・・・・・二三六
3 古墳時代の主な遺跡・・・・・・・・・・・二三七
一 古墳時代前期の遺跡・・・・・・・・・二三七
(古墳)
Ⅰ 七廻塚古墳・・・・・・・・・・・・二三七
Ⅱ 大覚寺山古墳・・・・・・・・・・・二三八
(集落遺跡)
Ⅰ 車坂遺跡・・・・・・・・・・・・・二四〇
Ⅱ 星久喜遺跡(批把首台遺跡)・・・・二四一
Ⅲ 宮崎第一遺跡・・・・・・・・・・・二四一
Ⅳ 大森第一遺跡・・・・・・・・・・・二四三
Ⅴ 大森第二遺跡(西ノ花遺跡)・・・・二四四
二 古墳時代後期の遺跡・・・・・・・・・二四六
(古墳)
Ⅰ 聖人塚古墳・・・・・・・・・・・・二四六
Ⅱ 兼坂周溝遺構群・・・・・・・・・・二四六
Ⅲ 兼坂古墳・・・・・・・・・・・・・二四七
Ⅳ 新山古墳群・・・・・・・・・・・・二四九
Ⅴ 荒久古墳・・・・・・・・・・・・・二五一
Ⅵ へたの台古墳群・・・・・・・・・・二五一
Ⅶ にとな古墳群・・・・・・・・・・・二五五
Ⅷ 中原古墳群・・・・・・・・・・・・二五七
Ⅸ 小食土横穴群・・・・・・・・・・・二五九
(集落遺跡)
Ⅰ 稲城台遺跡・・・・・・・・・・・・二六〇
Ⅱ 西前原遺跡・・・・・・・・・・・・二六一
Ⅲ すすき山遺跡・・・・・・・・・・・二六二
Ⅳ 高品第二遺跡・・・・・・・・・・・二六四
Ⅴ 京願台遺跡・・・・・・・・・・・・二六五
Ⅵ へたの台遺跡・・・・・・・・・・・二六六
4 氏族社会の集落と文化・・・・・・・・・・二六九
一 堅穴住居・・・・・・・・・・・・・・二六九
二 特殊住居・・・・・・・・・・・・・・二七二
三 集落・・・・・・・・・・・・・・・・二七二
第二項 千葉国造の成立・・・・・・・・・・・二八一
附記 千葉という名称の由来・・・・・・・二八八
第三項 律令国家への胎動・・・・・・・・・・二九一
第四節 王朝時代・・・・・・・・・・・・・・・二九五
第一項 大化改新と下総国・・・・・・・・・・二九五
第二項 千葉市付近の郡郷・・・・・・・・・・三〇一
第三項 諸郷の展望・・・・・・・・・・・・・三〇四
1 池田郷・・・・・・・・・・・・・・・・・三〇四
2 千葉郷・・・・・・・・・・・・・・・・・三〇九
3 三枝郷・・・・・・・・・・・・・・・・・三一四
4 糟〓郷・・・・・・・・・・・・・・・・・三一六
第四項 千葉寺と古墳・・・・・・・・・・・・・三一八
1 千葉寺・・・・・・・・・・・・・・・・・三一八
2 荒久古墳・・・・・・・・・・・・・・・・三二九
第五項 王朝後半の情勢と平忠常の乱・・・・・三三二
1 王朝時代後半の情勢・・・・・・・・・・・三三二
2 平忠常の乱・・・・・・・・・・・・・・・三四一
3 大椎城址とその周辺・・・・・・・・・・・三四四
一 「中世城址」の存在意義・・・・・・三四四
二 大椎城址の調査・・・・・・・・・・・三四五
Ⅰ 大椎城址の位置と範囲・・・・・・・三四八
Ⅱ 大椎城中核部の輪郭・・・・・・・・三五〇
(1) 「縄張り」と台上遺構・・・・・・三五〇
(2) 腰曲輪と物見台・・・・・・・・・三五三
三 大椎城下と「ねごや部落」・・・・・・三五五
四 立山城址の輪郭・・・・・・・・・・・三五六
五 中世城郭の型式と所属年代・・・・・・三五八
Ⅰ 中世城郭の型式分類・・・・・・・・・三五九
Ⅱ 中世城郭の型式と編年・・・・・・・・三五九
六 「大野馬牧」の存在・・・・・・・・・三六〇
七 大椎城址と立山城址との関係・・・・・三六一
第六項 千葉氏の抬頭と妙見信仰・・・・・・・三六四
1 千葉氏の抬頭・・・・・・・・・・・・・・三六四
2 妙見信仰の源流・・・・・・・・・・・・・三六八
3 千葉氏の妙見信仰・・・・・・・・・・・・三七七
第三章 中世
はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三八七
第一節 鎌倉時代の千葉・・・・・・・・・・・・三八九
第一項 律令制の動揺と東国・・・・・・・・・三八九
第二項 千葉氏の発生と成長・・・・・・・・・三九一
第三項 千葉氏の荘園経営・・・・・・・・・・三九六
第四項 千葉氏と鎌倉幕府との関係・・・・・・四〇〇
第五項 千葉氏と北条氏・・・・・・・・・・・四一一
第六項 城下町としての千葉・・・・・・・・・四一三
第二節 南北朝時代の動向・・・・・・・・・・・四一九
第一項 元弘の変と千葉介貞胤、千田太郎・・・四一九
第二項 建武中興と足利尊氏・・・・・・・・・四二三
第三項 千葉氏の動向・・・・・・・・・・・・四二五
第三節 関東管領と千葉氏の動揺・・・・・・・・四二七
第一項 関東の守護と鎌倉幕府・・・・・・・・四二七
第二項 千葉氏胤の時代・・・・・・・・・・・四二八
第三項 千葉満胤の時代・・・・・・・・・・・四二八
第四項 香取神宮領と農村の動向・・・・・・・四三二
第五項 永享の乱と結城合戦・・・・・・・・・四三四
第六項 千葉氏惣領制の分裂・・・・・・・・・四三六
第四節 後北条氏の下総進出と千葉氏・・・・・・四三九
第一項 千葉輔胤と千葉孝胤・・・・・・・・・四三九
第二項 後北条氏の抬頭・・・・・・・・・・・四四〇
第三項 土気の酒井氏・・・・・・・・・・・・四四二
第四項 長尾景虎の関東侵入・・・・・・・・・四四五
第五項 小田原の落城と千葉氏・・・・・・・・四四六
第六項 日泰と七里法華・・・・・・・・・・・四四八
市制五十年新市庁舎竣工記念式典にあたり
市民へのご挨拶・・・・・・・・・・(前市長 宮内三朗)
総論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一
第一章 自然環境
第一節 地形―台地・低地・海岸・・・・・・・・・・七
第一項 地形の概観・・・・・・・・・・・・・・・七
第二項 台地とその形成・・・・・・・・・・・・・八
第三項 低地と海岸・・・・・・・・・・・・・・一四
第二節 気候・・・・・・・・・・・・・・・・・・一七
第一項 気温・降水量・・・・・・・・・・・・・一七
第二項 季節風と海陸風・・・・・・・・・・・・一八
第三節 自然環境の変化とその対策・・・・・・・・二一
第一項 植生の変化と都市林の造成・・・・・・・二一
第二項 都市林の必要性とその造成・・・・・・・二三
第三項 自然環境の悪化とその対策・・・・・・・二五
第二章 原始・古代
第一節 石器時代・・・・・・・・・・・・・・・・二九
第一項 石器時代の自然と人類・・・・・・・・・二九
1 先土器時代・・・・・・・・・・・・・・・・二九
2 縄文時代・・・・・・・・・・・・・・・・・三九
第二項 石器時代の遺跡・・・・・・・・・・・・五九
1 縄文時代以前の遺跡・・・・・・・・・・・・五九
木葉形尖頭器・・・・・・・・・・・・・六〇
掻器・・・・・・・・・・・・・・・・・六一
有茎尖頭器・・・・・・・・・・・・・・六一
ナイフ形石器・・・・・・・・・・・・・六一
尖頭器・・・・・・・・・・・・・・・・六一
有茎尖頭器・・・・・・・・・・・・・・六一
有茎尖頭器・・・・・・・・・・・・・・六二
木葉形尖頭器・・・・・・・・・・・・・六二
掻器・・・・・・・・・・・・・・・・・六二
2 縄文時代の遺跡の分布・・・・・・・・・・・六四
3 縄文時代の主な遺跡・・・・・・・・・・・・八一
一 縄文早期の遺跡・・・・・・・・・・・・八一
Ⅰ 長作城山貝塚・・・・・・・・・・・・八一
Ⅱ 清水作貝塚・・・・・・・・・・・・・八二
Ⅲ 鶴牧貝塚・・・・・・・・・・・・・・八二
Ⅳ 鳥込貝塚とその周辺・・・・・・・・・八三
Ⅴ 向原遺跡・・・・・・・・・・・・・・八三
Ⅵ 東田貝塚・・・・・・・・・・・・・・八四
Ⅶ 向の台貝塚・・・・・・・・・・・・・八四
Ⅷ 加曽利貝塚・・・・・・・・・・・・・八五
二 縄文前期の遺跡・・・・・・・・・・・・八六
Ⅰ 谷津台貝塚・・・・・・・・・・・・・八六
Ⅱ 駒形遺跡・・・・・・・・・・・・・・八八
Ⅲ 荒屋敷西貝塚・・・・・・・・・・・・八八
Ⅳ 木戸場貝塚・・・・・・・・・・・・・八八
Ⅴ 宝導寺台貝塚・・・・・・・・・・・・八九
Ⅵ 小食土辰ケ台貝塚・・・・・・・・・・九一
三 縄文中期の遺跡・・・・・・・・・・・・九二
Ⅰ すすき山遺跡・・・・・・・・・・・・九四
Ⅱ 廿五里南貝塚・・・・・・・・・・・・九五
Ⅲ 東寺山貝塚・・・・・・・・・・・・・九六
(東寺山南貝塚)・・・・・・・・・・九七
Ⅳ 荒屋敷貝塚・・・・・・・・・・・・・九七
Ⅴ 加曽利貝塚・・・・・・・・・・・・・九九
Ⅵ 蕨立・さら坊貝塚・・・・・・・・・一〇三
Ⅶ 月の木貝塚・・・・・・・・・・・・一〇五
(へたの台貝塚)・・・・・・・・・一〇七
Ⅷ 水砂遺跡・・・・・・・・・・・・・一〇七
Ⅸ 長谷部貝塚・・・・・・・・・・・・一〇八
Ⅹ 菱名貝塚・・・・・・・・・・・・・一〇九
四 縄文後期の遺跡・・・・・・・・・・・一一一
Ⅰ 長作築地貝塚・・・・・・・・・・・一一一
Ⅱ 犢橋貝塚・・・・・・・・・・・・・一一三
Ⅲ 草刈場貝塚・・・・・・・・・・・・一一四
Ⅳ 加曽利貝塚・・・・・・・・・・・・一一六
Ⅴ 多部田貝塚・・・・・・・・・・・・一一八
Ⅵ 矢作貝塚・・・・・・・・・・・・・一一八
Ⅶ 野呂山田貝塚・・・・・・・・・・・一一九
(荒立貝塚)・・・・・・・・・・・一二〇
Ⅷ 築地台貝塚・・・・・・・・・・・・一二一
Ⅸ 六通貝塚・・・・・・・・・・・・・一二一
(六通西貝塚)・・・・・・・・・・一二三
Ⅹ 大膳野北貝塚・・・・・・・・・・・一二四
Ⅺ 有吉貝塚・・・・・・・・・・・・・一二五
Ⅻ 南生実台貝塚・・・・・・・・・・・一二五
(上赤塚貝塚)・・・・・・・・・・一二六
ⅩⅢ 誉田高田貝塚・・・・・・・・・・・一二六
五 縄文晩期の遺跡・・・・・・・・・・・一二八
Ⅰ 犢橋貝塚・・・・・・・・・・・・・一二八
Ⅱ 園生貝塚・・・・・・・・・・・・・一二九
Ⅲ 台門貝塚・・・・・・・・・・・・・一三〇
Ⅳ 加曽利貝塚・・・・・・・・・・・・一三一
第三項 生活と文化・・・・・・・・・・・・一三二
1 縄文時代の衣食住・・・・・・・・・・・・一三二
一 食糧・・・・・・・・・・・・・・・・一三三
Ⅰ 食糧の種類・・・・・・・・・・・・一三三
Ⅱ 食糧獲得の方法・・・・・・・・・・一三七
Ⅲ 調理方法・・・・・・・・・・・・・一四二
Ⅳ 貯蔵方法・・・・・・・・・・・・・一四三
二 住居・・・・・・・・・・・・・・・・一四五
三 衣類と装身具・・・・・・・・・・・・一五一
2 縄文時代の精神生活・・・・・・・・・・・一五四
第四項 社会と集落・・・・・・・・・・・・・一六一
1 貝塚のとらえ方・・・・・・・・・・・・・一六一
一 貝塚は「ごみ捨て場」か・・・・・・・一六一
二 貝塚は集落である・・・・・・・・・・一六二
三 貝塚集落のとらえ方・・・・・・・・・一六四
2 貝塚集落の変遷・・・・・・・・・・・・・一六九
一 貝塚集落の生成期(縄文早期・前期)・一六九
二 貝塚集落の発展期(縄文中期・後期)・一七三
三 貝塚集落の消滅期(縄文晩期)・・・・一七七
3 食糧の確保・・・・・・・・・・・・・・・一七九
一 貯蔵形態の変遷・・・・・・・・・・・一八〇
二 生産形態の変遷・・・・・・・・・・・一八一
4 製塩と干貝加工・・・・・・・・・・・・・一八五
一 縄文時代の土器製塩・・・・・・・・・一八五
二 製塩遺跡の分布・・・・・・・・・・・一八六
三 保存食糧としての干貝・・・・・・・・一八七
5 生産の分業化と交易・・・・・・・・・・・一八九
一 石材の原産地・・・・・・・・・・・・一八九
二 集落間の分業・・・・・・・・・・・・一九一
三 社会的な結合関係・・・・・・・・・・一九三
第二節 弥生時代・・・・・・・・・・・・・・・一九七
第一項 弥生時代の遺跡・・・・・・・・・・・一九七
1 弥生時代の遺跡の分布・・・・・・・・・・一九七
2 弥生時代の主な遺跡・・・・・・・・・・・二〇〇
Ⅰ 新田山遺跡・・・・・・・・・・・・二〇〇
Ⅱ 中の台遺跡・・・・・・・・・・・・二〇一
Ⅲ 星久喜遺跡(批把首台遺跡)・・・・二〇一
Ⅳ 大森第二遺跡(西ノ花遺跡)・・・・二〇三
Ⅴ 車坂遺跡・・・・・・・・・・・・・二〇七
Ⅵ 城の腰遺跡・・・・・・・・・・・・二〇七
Ⅶ 椎名谷遺跡・・・・・・・・・・・・二〇八
Ⅷ 桜木町遺跡・・・・・・・・・・・・二〇八
Ⅸ 弁天台遺跡・・・・・・・・・・・・二〇八
Ⅹ 上の台遺跡・・・・・・・・・・・・二〇九
第二項 農耕の開始と自然環境の変化・・・・・二一〇
第三節 古墳時代・・・・・・・・・・・・・・・二一五
第一項 氏族社会の成立と遺跡の分布・・・・・二一五
1 氏族社会の成立・・・・・・・・・・・・・二一五
2 古墳時代の遺跡の分布・・・・・・・・・・二二三
はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・二二三
一 古墳の分布について・・・・・・・・・二二三
Ⅰ 地域的様相・・・・・・・・・・・・二二三
Ⅱ 時期別の様相・・・・・・・・・・・二二六
二 集落址の分布・・・・・・・・・・・・二三三
Ⅰ 全体的様相・・・・・・・・・・・・二三三
Ⅱ 時期別の様相・・・・・・・・・・・二三六
3 古墳時代の主な遺跡・・・・・・・・・・・二三七
一 古墳時代前期の遺跡・・・・・・・・・二三七
(古墳)
Ⅰ 七廻塚古墳・・・・・・・・・・・・二三七
Ⅱ 大覚寺山古墳・・・・・・・・・・・二三八
(集落遺跡)
Ⅰ 車坂遺跡・・・・・・・・・・・・・二四〇
Ⅱ 星久喜遺跡(批把首台遺跡)・・・・二四一
Ⅲ 宮崎第一遺跡・・・・・・・・・・・二四一
Ⅳ 大森第一遺跡・・・・・・・・・・・二四三
Ⅴ 大森第二遺跡(西ノ花遺跡)・・・・二四四
二 古墳時代後期の遺跡・・・・・・・・・二四六
(古墳)
Ⅰ 聖人塚古墳・・・・・・・・・・・・二四六
Ⅱ 兼坂周溝遺構群・・・・・・・・・・二四六
Ⅲ 兼坂古墳・・・・・・・・・・・・・二四七
Ⅳ 新山古墳群・・・・・・・・・・・・二四九
Ⅴ 荒久古墳・・・・・・・・・・・・・二五一
Ⅵ へたの台古墳群・・・・・・・・・・二五一
Ⅶ にとな古墳群・・・・・・・・・・・二五五
Ⅷ 中原古墳群・・・・・・・・・・・・二五七
Ⅸ 小食土横穴群・・・・・・・・・・・二五九
(集落遺跡)
Ⅰ 稲城台遺跡・・・・・・・・・・・・二六〇
Ⅱ 西前原遺跡・・・・・・・・・・・・二六一
Ⅲ すすき山遺跡・・・・・・・・・・・二六二
Ⅳ 高品第二遺跡・・・・・・・・・・・二六四
Ⅴ 京願台遺跡・・・・・・・・・・・・二六五
Ⅵ へたの台遺跡・・・・・・・・・・・二六六
4 氏族社会の集落と文化・・・・・・・・・・二六九
一 堅穴住居・・・・・・・・・・・・・・二六九
二 特殊住居・・・・・・・・・・・・・・二七二
三 集落・・・・・・・・・・・・・・・・二七二
第二項 千葉国造の成立・・・・・・・・・・・二八一
附記 千葉という名称の由来・・・・・・・二八八
第三項 律令国家への胎動・・・・・・・・・・二九一
第四節 王朝時代・・・・・・・・・・・・・・・二九五
第一項 大化改新と下総国・・・・・・・・・・二九五
第二項 千葉市付近の郡郷・・・・・・・・・・三〇一
第三項 諸郷の展望・・・・・・・・・・・・・三〇四
1 池田郷・・・・・・・・・・・・・・・・・三〇四
2 千葉郷・・・・・・・・・・・・・・・・・三〇九
3 三枝郷・・・・・・・・・・・・・・・・・三一四
4 糟〓郷・・・・・・・・・・・・・・・・・三一六
第四項 千葉寺と古墳・・・・・・・・・・・・・三一八
1 千葉寺・・・・・・・・・・・・・・・・・三一八
2 荒久古墳・・・・・・・・・・・・・・・・三二九
第五項 王朝後半の情勢と平忠常の乱・・・・・三三二
1 王朝時代後半の情勢・・・・・・・・・・・三三二
2 平忠常の乱・・・・・・・・・・・・・・・三四一
3 大椎城址とその周辺・・・・・・・・・・・三四四
一 「中世城址」の存在意義・・・・・・三四四
二 大椎城址の調査・・・・・・・・・・・三四五
Ⅰ 大椎城址の位置と範囲・・・・・・・三四八
Ⅱ 大椎城中核部の輪郭・・・・・・・・三五〇
(1) 「縄張り」と台上遺構・・・・・・三五〇
(2) 腰曲輪と物見台・・・・・・・・・三五三
三 大椎城下と「ねごや部落」・・・・・・三五五
四 立山城址の輪郭・・・・・・・・・・・三五六
五 中世城郭の型式と所属年代・・・・・・三五八
Ⅰ 中世城郭の型式分類・・・・・・・・・三五九
Ⅱ 中世城郭の型式と編年・・・・・・・・三五九
六 「大野馬牧」の存在・・・・・・・・・三六〇
七 大椎城址と立山城址との関係・・・・・三六一
第六項 千葉氏の抬頭と妙見信仰・・・・・・・三六四
1 千葉氏の抬頭・・・・・・・・・・・・・・三六四
2 妙見信仰の源流・・・・・・・・・・・・・三六八
3 千葉氏の妙見信仰・・・・・・・・・・・・三七七
第三章 中世
はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三八七
第一節 鎌倉時代の千葉・・・・・・・・・・・・三八九
第一項 律令制の動揺と東国・・・・・・・・・三八九
第二項 千葉氏の発生と成長・・・・・・・・・三九一
第三項 千葉氏の荘園経営・・・・・・・・・・三九六
第四項 千葉氏と鎌倉幕府との関係・・・・・・四〇〇
第五項 千葉氏と北条氏・・・・・・・・・・・四一一
第六項 城下町としての千葉・・・・・・・・・四一三
第二節 南北朝時代の動向・・・・・・・・・・・四一九
第一項 元弘の変と千葉介貞胤、千田太郎・・・四一九
第二項 建武中興と足利尊氏・・・・・・・・・四二三
第三項 千葉氏の動向・・・・・・・・・・・・四二五
第三節 関東管領と千葉氏の動揺・・・・・・・・四二七
第一項 関東の守護と鎌倉幕府・・・・・・・・四二七
第二項 千葉氏胤の時代・・・・・・・・・・・四二八
第三項 千葉満胤の時代・・・・・・・・・・・四二八
第四項 香取神宮領と農村の動向・・・・・・・四三二
第五項 永享の乱と結城合戦・・・・・・・・・四三四
第六項 千葉氏惣領制の分裂・・・・・・・・・四三六
第四節 後北条氏の下総進出と千葉氏・・・・・・四三九
第一項 千葉輔胤と千葉孝胤・・・・・・・・・四三九
第二項 後北条氏の抬頭・・・・・・・・・・・四四〇
第三項 土気の酒井氏・・・・・・・・・・・・四四二
第四項 長尾景虎の関東侵入・・・・・・・・・四四五
第五項 小田原の落城と千葉氏・・・・・・・・四四六
第六項 日泰と七里法華・・・・・・・・・・・四四八