第一項 地形の概観

5 ~ 8 / 452ページ

表写真 スダジイ

 千葉市の土地は、地形学的にいえば、すべて平野である。人間活動をさまたげる高くけわしい山地はない。したがって市域は都市・村落の建設基盤としてすみずみまで利用することができる。その反面山岳・森林がなく、水資源に乏しい。また低い平地には排水がむずかしい土地もある。
 千葉市の土地はすべて平野であるとはいうものの、高度差によって、台地と低地と干潟とに分けられる。台地は、市域のほぼ五分の四を占める。この台地は房総半島の北半にひろがる下総台地の西南部にあたる。台地と東京湾岸とのあいだは、幅のせまい低地となっているが、登戸から幕張までは台地がただちに海岸にせまっている。台地のまわりには樹枝状の細い浸蝕谷がきざみこんで、地形に変化を与えている。この浸蝕谷には「やつ田」が開かれている。台地の表面は水が乏しく、平地林と原野であった。台地は浸蝕谷より開拓はおくれたが、すでにその半ばは畑地となっている。今日では台地面は住宅地や住宅団地に開発され、市街地の外縁となっている。

1―1図 両総台地と「やつ田」(東木竜七による)


1―2図 台地と「やつ田」(御殿町)

 千葉市の台地は下総台地の分水界の一部となっている。台地の北側には、印旛沼・手賀沼に注ぐ川が北流する。台地の東側と南側には、東京湾に流れる川が西流または西南流する。
 鹿島川(延長二九・〇キロメートル、流域面積二五一・九平方キロメートル)は市内の土気町を水源地とし、市域の東部を北流して印旛沼に注ぐ。その上流、中流は市内の平川町・野呂町・富田町・更科町・下田町をへて、下流は佐倉市を流れる。村田川(延長二〇・八キロメートル、流域面積一一一・九平方キロメートル)は長生郡長柄町山之郷を水源地として西流し、東京湾に注ぐ。上流は市内の土気町を流れ、中流は市原市に入り、下流は千葉市と市原市の境界をなしている。都川(延長一七・五キロメートル、流域面積六七・五平方キロメートル)は市内の高田町を水源地として西流し、東京湾に注ぐ。都川は千葉市においてもっとも重要な河川である。中流において住宅団地が多い市域の東部から排水路の役割を果たす二筋の支流が合流する。下流において市街の北部を排水する葭川が合流して、中心市街を貫流する。花見川は市域の西部にあって南流して東京湾に注ぐ。花見川は上流において分水界をこえて先行性流路をなし、印旛沼から排水路として掘られた新川という人工堀割川で結びつけられた。かくて印旛沼の洪水を東京湾に排水する疎水路ができあがった。この疎水路は印旛沼の西端にある平戸から検見川まで一六・五キロメートル、昭和二十五年に着工し、昭和四十三年に完成した。
 鹿島川・村田川・都川と花見川は下総台地にきざみこんで河谷低地をつくり、そこは千葉市の主な水田地帯となっている。またこれらの河川は下流から東京湾岸にかけて海岸低地をくりひろげ、そこに市街地を発達させている。
 千葉市の海岸線は約一九キロメートル、直線状につらなる砂浜(砂州)である。北部の海岸は、幕張・検見川・稲毛・黒砂・登戸まで、台地が海岸に十数メートルから二十数メートルの急崖をなしてせまる。しかし南部の海岸は、台地の前面に幅一キロメートル以上の低地がひらけ、南方の村田川の三角州や養老川の三角州につづく。海岸線から沖合は遠浅の海である。干潟は沖合一・五キロメートルの幅にひろがっていた。海岸線から沖合に二・五キロメートルもでて水深は五メートル、海岸線から七・五キロメートルも沖合にでてようやく水深は一〇メートルに達している。この遠浅の海は海岸線から沖合へ二・五キロメートルも埋立てられている。この海面埋立地は現在は約三千四百ヘクタール、なお埋立面積は増加している。そこは臨海工業用地や港湾用地や業務用地となって、千葉市の新しい発展の基盤となっている。