成田層が古東京湾に堆積していたころの海面は現在より三〇~五〇メートルも高かった。この時期を下末吉海進という。下末吉海進が数万年もつづいてから、海面が低下しはじめて海退となった。これから古東京湾の陸化は急速にすすんだ。このときに関東造盆地運動によって千葉市の成田層が南東―北西方向に微隆起地帯となったのである。海面の低下が進んで成田層からなる海岸平野は台地状に高くなり、印旛沼側と東京湾側との分水界となった。この成田層の微隆起地帯が下総上位面である。かくて下総上位面は台地の主体部分となり、東京湾側と印旛沼側とにゆるやかに低下して、そのはしは下総下位面に急傾斜してのぞんでいる。
下総下位面は下総上位面より約五メートルも低い台地面である。その台地面の幅は二~四キロメートルもあり、帯状に下総上位面をとりまいている。下総下位面は市川市・船橋市では一八~二二メートルの高度であるが、千葉市では検見川・稲毛・黒砂などでは二十数メートルにもなる。これは下総下位面に砂丘をのせているだけでなく、北西よりも南東が隆起する関東造盆地運動の作用もある。下末吉海退の過程に、現在の海面より約二〇メートルも高い海面まで低下して、その後は比較的ながく海面が安定した時期があった。これは武蔵野期の高海面であった。このとき下総上位面のまわりに海蝕面がつくられ、その後更に海面が低下したので、この海蝕面が陸化して下総下位面となった。したがって下総下位面は海岸段丘として陸化したわけである。