第二項 都市林の必要性とその造成

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 森林の効用は産業用の経済林と国土保全のための保安林としての二大効用を考えられてきた。最近都市発達がはげしくなり、都市人口が増加するにともない、新しい森林の効用が強調されている。それは都市林とよばれ、都市近郊にあって森林レクリエーションの役目を果たしたり、市街地内にあって都市の自然環境を保全する役目を果たすものである。都市林とは市街内に立地する森林・樹木群を狭義の都市林といい、都市近郊林までも含めて広義の都市林といわれている。都市という人工施設の中にあって生物としての人間存在の基盤として都市住民にとって都市林は必要である。従来は都市住民は「みどり」の最少単位としての宅地内の庭を持っていた。最近の住宅事情では大都市ほど庭を持つことが都市住民にとって高嶺の花となっている。今や国・県・市が都市林を市民に提供する責任が強くなってきた。
 都市林の最大の役割は、グリーン・コンタクト(緑への接触)である。都市林は「みどり」として人間の五官を通して精神的・肉体的の両面に直接働きかけることによって豊かな人間性の育成に役だち、健康と快適性を強める。また都市林は都市の自然環境を保全する役割を果たしている。それは大気の浄化、気温の調節、防風、公害の緩和や都市災害を防止する。今日では都市林がない都市は欠陥都市とまでいわれている。

1―12図 千葉市の都市林(国鉄千葉駅前通り)

 千葉市は都市林がすくない都市である。千葉市の歴史には都市林を発達させる過程はなかった。日本では都市林は城下町において発達している。千葉市は都市づくりに計画性のない商人町であった。また最近の都市発展も住宅都市と工業都市として急速に伸びた。これらの宅地造成や工場建設は、経済と効率の原理でおしすすめられても、生活と必要の原理を無視する点がすくなくなかった。千葉市の住宅街や住宅団地にも、埋立地の臨海工場地帯にも内陸工業団地にも、都市林は造成されなかった。千葉市は、煙の都であっても杜の都ではない。大阪市の御堂筋のいちょう並木、札幌市大通りのアカシヤの並木、長野県飯田市のりんご並木、宇都宮市県庁前のトチの木並木、長野市郊外のあんずの里などのような「都市シンボル」としての都市林を、千葉市では造成しようとはしなかった。
 しかし最近の千葉市はこれまでの経済優先の社会から生活と福祉を優先する社会の建設に方向を転換しつつある。青い海と空をとりもどす努力をするとともに緑の大地を造成しようとしている。無秩序の開発から緑を保存する対策を進めている。昭和四十六年、千葉市は「緑化の推進および樹木の保全に関する条例」を施行した。これによって三〇〇平方メートル以上の住宅地に隣接する樹林や高さ一二メートル、胸高の周囲一・二メートル以上の古木について、所有者と保全協定を結んでいる。この奨励金として市は、一本につき二千円、樹林一〇〇平方メートルにつき二万円を年間支給している。昭和四十六、七年の二カ年間で二四〇本の古木と八二ヘタタールの樹林について指定し、協定している。また昭和四十七年から「千葉市宅地開発指導要綱」を施行した。この中に環境保全の一つとして、宅造地の計画人口と同数の樹木を植樹することを宅造開発者に義務づけている。
 千葉市は積極的に都市林の造成に乗りだしている。そのうちの主なものは次のとおりである。
 千葉公園(中心市街地)二一ヘクタール。昭和二十四年着工、同三十五年完成。野球場・競技場とともに、さくら・つつじと二千年前の「大賀はす」がある。
 加曽利貝塚公園(桜木町)一〇ヘクタール。たて穴式住居址の復元保存や貝塚博物館があり、公園の二分の一は緑地である。
 泉自然公園(野呂町)四三ヘクタール。昭和四十四年の開園。台地と谷の自然の地形に森林と芝生からなる自然休養林である。
 平和公園(多部田町)三五ヘクタール。山武杉と松の古木が茂り、山桜も咲く自然公園的な霊園である。
 昭和の森(土気町)計画面積一〇〇ヘクタール。総事業費三二億円、一部の完成であるが、海抜九〇メートルの台地から九十九里平野も展望できる森林公園である。
 このほかに稲毛海浜公園(五七ヘクタール・稲毛海岸)は海浜ニュータウンの中に計画されている。また千葉中央総合公園(旧畜産試験場跡・五六ヘクタール)や花見川リバーサイドパークを花見川沿岸に造成する計画もある。