表写真 双口異形土器(加曽利BⅠ式) 加曽利貝塚出土
日本に存在するすべての陸棲動物の祖型はアジア―アフリカ―ヨーロッパに続く旧大陸に源を発している。人類の祖先も例外ではない。人類の発生は鮮新世の終わりか洪積世の初めごろ―少なくとも百万年以前とされ、南アフリカのオーストラロピテクス類はこの時期の代表的なものであり、アジア大陸ではジャワ島が大陸の一部であったころ、約六〇万年前の直立猿人や、中国陜西省西安市の西南における藍田(らんでん)原人・北京郊外周口店の北京原人などはもっとも古い人類としてよく知られている。
我国でも兵庫県明石市西八木海岸の明石原人、栃木県安蘇郡葛生町の葛生原人、静岡県浜北市岩水寺(がんすいじ)の浜北人、同県引佐(いなさ)郡三ケ日(みっかび)町只木(ただき)の三ケ日人、愛知県豊橋市牛川町忠興の牛川人、広島県神石郡神石町永野の帝釈峡人(註1)などは洪積世時代の人類であろう。ただこれらの人類の化石骨はいずれも断片的であるため、人間の骨格の全容を推定することは困難であるが、日本列島の一部が大陸とつながっていた時代に、その陸橋を、今は絶滅した動物たちとともに渡って来たに相違ない。
洪積世時代は別名大氷河時代(氷河時代は地球誕生以来三~四回あり、そのうち洪積世時代が最も長く、かつ大規模なものであった)ともいわれ、概して寒冷な時代であったが、その間に少なくとも四回の氷期と三回の間氷期が交替し、間氷期の日本は現在よりもむしろ暖かかったといわれている。
前述のオーストラロピテクス類は第一氷期、直立猿人・藍田原人・北京原人は第二氷期、ヨーロッパのハイデルベルグ人などは第二間氷期、ネアンデルタール人は第三氷期から第四氷期前半、クロマニオン人は第四氷期後半に分類され、クロマニオン人以外の古人類は、絶滅種であるが、クロマニオン人以後の人類は現代の人々と同じ種に属する人類で、これを現生人類(ホモ・サピエンス)と名づけている。
氷期には大気中の水分の大部分が氷結し、陸上においては氷河や氷床が発達したので、海へ注ぐ水量が減少し水面が低くなる。つまり海退現象がおこるが、それと同時に、陸上では乾燥気候が支配的となるから、北方系の動植物が南下する。反対に間氷期には気温の上昇に伴って氷河や氷床が解けて水量が増すので、海進現象がおこるとともに、樹木の成育が盛んとなり、南方系の動植物が北上する。
洪積世時代(大氷河時代)は考古学上の旧石器時代に相当するが、このころの日本は、日本海以外の大部分がアジア大陸とつながっていた。つまり間宮・宗谷・津軽・朝鮮の各海峡も開いていなかった。ただ第二間氷期はその前の第一間氷期とともに、世界的な大海進が行われたので、一時的に日本列島が孤立化したという説もあるが、完全に日本列島が形成され、今日に近い姿をとるようになったのは、洪積世終末から沖積世初頭(後氷期)にかかる時代のことで、それは今からおよそ一万年前のことであろう(註2)。
したがって旧大陸に発生した旧石器時代の人類が、獲物を求め狩をしながら、陸続きの日本に移動できる地理的条件は、洪積世時代のほとんど全期間を通じてあり得たのである。
2―1表 地質年代対照年表