南半部

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 次に南半部を流れる村田川、養老川、小櫃川、小糸川沿岸の貝塚分布の状況を概観すると、北半部ほど濃密でなく、むしろ分散的で、しかも南に行くにつれて希薄になる。そしてここでも上限貝塚は純鹹又は主鹹の中~後期のものに限られる。早~前期の純鹹貝塚はそれよりもやや標高の低い一五メートル前後あるいはそれ以下の沖積平野を前面に控える台地上にのみ発見される。
 すなわち上限貝塚を見ると、村田川沿岸では中期の土器を包含する市原市多竜台貝塚(標高六一・五メートル直下の谷標高四〇メートル)、養老川本流沿岸では貝層中に堀之内式・加曽利B式、貝層下土層に安行Ⅰ式を出す市原市上高根貝塚(標高七〇メートル、直下の谷標高五〇メートル)、この支流では堀之内式・加曽利B式の市原市諸久蔵貝塚(標高六七メートル直下の谷標高四〇メートル)、小櫃川沿岸では堀之内式・加曽利B式の木更津市徳蔵寺貝塚(標高五五メートル、直下の谷標高四五メートル)、小糸川沿岸では貝層中に堀之内式・加曽利B式・安行Ⅰ式、上部の土層中に安行Ⅱ式・安行Ⅲ式を含む君津市三直貝塚(標高五〇メートル、直下の谷標高三五メートル)など、かなり高い台地上に馬蹄形又は点列半月形の貝塚があり、下限は下流のデルタを眼下に望む標高一〇メートルの丘の辺縁にまで分布するばかりでなく、養老川では市原市野毛の塚原貝塚(加曽利B式)、小櫃川では木更津市永井作通称六軒町の永井作貝塚(堀之内式、加曽利B式)、小糸川では富津市上飯野字鹿島の上飯野貝塚(堀之内式、加曽利B式)のように、まれには標高六~四メートルの砂丘上にも存在する。