2―10図 古河地区造盆地運動と東京湾造盆地運動
(貝塚爽平による)
2―11図 関東平野の第四紀層の深さ
(河井興三,1961;菊地隆男,1971による)
2―12図 海成下末吉面の造盆地的変形
(成瀬洋,1966)
したがって、古河地区造盆地運動と、東京湾造盆地運動とは、相互に密接な関連がある。河井興三は、第二次大戦後、南関東一円のガス田開発のための試錐資料をもとにして、成田層群下部以来の沈降の中心は、千葉市から埼玉県草加市にかけて、北西―南東方向に帯状に広がっており、千葉市・船橋市の臨海では、梅ケ瀬層上限までの深さは、地下千二百メートル、草加市付近では六百メートルであることを指摘した(註30)。このほか、神奈川県相模野南部にも、もう一つの沈降の中心がある。これを相模野南部造盆地運動と呼ぶ。
2―13図 東京湾北部の地下構造(垂直は水平の25倍)
(貝塚爽平による)
したがって東京湾東沿岸地区の海進現象は、有楽町海進の時期と東京湾造盆地運動との交錯によっておこった地域的な変動であるのに対して、東京湾西沿岸から奥東京湾地区の海進現象は、古河地区造盆地運動と密接な関連がある地域的変動であって、両者を区別することなく、一律に関東地方における有楽町海進を考慮することは誤りである。
そこで東京湾東沿岸地区、とりわけ、市川市から千葉市にかけての、北半部の海進海退の実像を復原するまえに、成瀬洋がまとめた千葉市付近の沈降量を見ると、梅ケ瀬層上限以前の沈降速度は、千年につき〇・五メートル以下であるが、成田層堆積以降有楽町層までは一・一~一・三メートルの間を上下している(註31)。つまり一万年当たり約一二メートル、一年当たり一・二ミリメートルの割で沈降していることとなり、現在に近ずくほど沈降量が増大する。そして、これは現在も続いているものと推測される。このことは、逆に成田層の堆積した二十数万年前には、今よりも数十メートル高く、有楽町層の時代でも数メートルは高かったはずである。