Ⅰ 長作城山貝塚(長作町字城山所在)

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 花見川を二・五キロメートルほどさかのぼると、流路は東へ向きを変える。その北岸中央部に北へ入る大きな支谷(長作支谷)があり、この長作支谷を五百メートルほど入った西側に、北から突出する小さな舌状台地(城山台地)がある。
 この城山台地の先端東側の斜面上部に本貝塚は立地する。

2―32図 長作城山貝塚全景

 本貝塚の発掘調査は、「印旛・手賀沼周辺地域埋蔵文化財調査」の一環として、昭和三十五年二月に、早稲田大学考古学研究室の金子浩昌によって行われた(註1)。
 貝層の堆積は小規模であり、かつ、攪乱もあってあまり良好とは言えなかったようであるが、「小型ハイガイを主含とし、これにカキ・オキシジミ・ハマグリ・カガミ貝などがやや多く包含されていた。」このほか、イタボガキ・サルボウ・マテガイ・アカニシ・イボニシ・ツメタガイ・ウミニナなどが検出されたところから、「すべて遠浅の泥底質あるいは砂底質に棲息する種類であって、ハイガイの棲息など、当時陸水の影響が強くなく、暖流系支流のより直接的影響下にあった水域環境の状況を理解することができる。」とされている。
 人工遺物としては、玄武岩製品と軽石製品各一個であるが用途は判然としておらず、土器はすべて破片で表裏両面に条痕文(註2)を有する土器片がほとんどを占め、「これ以外に文様を殆んどもたないと考えられる一群の土器、つまり茅山上層式に比定されるものであろう。」とされている。