Ⅶ 向の台貝塚(都町 千葉市立都小学校校庭所在)

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 都川本谷を約二・五キロほどさかのぼると、北がわに台地が迫ってくる(都台地)。この台地上の北西の隅に立地する。都小学校の旧校舎の裏庭であったが、最近そこに鉄筋校舎が建築され、その存否が気づかわれている。
 本貝塚の発掘は、昭和二十一年末から、二十二年頭初にかけて、東京大学人類学教室と、県立千葉中学校(現千葉高)郷土研究部とによって実施された(註15)。当時の本貝塚は、台地の北西部の縁辺に沿って三地点に分かれていた模様である。発掘は、北縁にならぶ二地点において実施された(その中、西側をA地点、東側をB地点としている)。
 このときの発掘では、本貝塚は茅山式期に形成されたことが確認され、ほかに、わずかに子母口式、田戸上層式、諸磯式などの土器片も検出されている。
 中でも特筆すべきは、この時期の埋葬人骨四体と住居址一基が発見されたことである。
 人骨は、A地点で二体・B地点で二体で、方向こそ異なるがいずれも屈葬であった。特にB地点では、住居址内に埋葬されていた。
 住居址は、不整梯形を呈する。
 これらの人骨と住居址は、現在でも市内最古のものとして非常に貴重な資料である(一四六ページ参照)。