しかも、個々の遺跡においても、前期に比べて規模が急激に増大している。特に、大型の馬蹄形貝塚がにわかに出現し、急速に発展する。これは、関東地方におけるもっとも特異な現象として、東京湾東岸地域の特色としてとらえられている。いわば、「貝塚文化」の開花期なのである。
したがって、中期以降の代表的な遺跡、重要な遺跡として選ぶとき、それがほとんど貝塚を伴う集落遺跡に限定されてくるのは、やむをえないことであろう。しかも、この集落は、長期にわたって存続するものが多く、その所属時期が中期のみに限定されるものは、ごく少なく、そのほとんどが後期まで存続する傾向を示している。
ここでは、それらのうち、特に中期からはじまったものや、その遺構や遺物が中期を主体としているもの、あるいは、中期の典型的な様相を呈しているなど代表的な遺跡を取り上げることにした。以下各時期の主な遺跡についても、同じような観点にもとづいている。
【脚註】
筆者にとって、第二項、二―七表のごとく、個々の遺跡について、貝塚を主体とするか否かを判別することは不可能であり、あえてそれを区別しても無意味だと思う。ただ、貝塚を伴うか否かによって、その食糧獲得の背景や遺跡相互の有機的関係を把握する資料としたい。そこで未踏査で実在を未確認のものはできるだけ割愛し、現在確認している範囲で、貝塚を伴う遺跡(集落と集落以外のもの)と、貝塚を伴わない遺跡とに分けると、二―八表のとおりである。
時期別 種別 | 早期 | 前期 | 中期 | 後期 | 晩期 |
貝塚を伴う遺跡 (集落) | 6 | 8 | 32 | 44 | (3) |
貝塚を伴う遺跡 (性格不明) | 4 | 1 | 7 | 13 | (3) |
貝塚を伴わない遺跡 (性格不明) | 8 | 8 | 14 | 26 | (2) |
計 | 18 | 17 | 53 | 83 | (8) |
註 1.( )印は判定が困難で,不確実なものを示す。
2.なお,この数値は昭和48年12月現在のもので,その後の調査による発見または確認したものは含まれていない。