三 縄文中期の遺跡

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 千葉市内において、これまでに確認されている縄文中期の遺跡は五三カ所を数える。そのうち貝塚を伴う遺跡が三九カ所で、全体の七四パーセントを占める。これは前期に比べると、包含地は一・八倍であるのに対して、貝塚は、実に四・四倍の増加を示している。すなわち、前期においては、貝塚と包含地との差はほとんどなかったが、中期にはそのバランスがくずれ、貝塚の数が急激に増加している。
 しかも、個々の遺跡においても、前期に比べて規模が急激に増大している。特に、大型の馬蹄形貝塚がにわかに出現し、急速に発展する。これは、関東地方におけるもっとも特異な現象として、東京湾東岸地域の特色としてとらえられている。いわば、「貝塚文化」の開花期なのである。
 したがって、中期以降の代表的な遺跡、重要な遺跡として選ぶとき、それがほとんど貝塚を伴う集落遺跡に限定されてくるのは、やむをえないことであろう。しかも、この集落は、長期にわたって存続するものが多く、その所属時期が中期のみに限定されるものは、ごく少なく、そのほとんどが後期まで存続する傾向を示している。
 ここでは、それらのうち、特に中期からはじまったものや、その遺構や遺物が中期を主体としているもの、あるいは、中期の典型的な様相を呈しているなど代表的な遺跡を取り上げることにした。以下各時期の主な遺跡についても、同じような観点にもとづいている。
 【脚註】
 筆者にとって、第二項、二―七表のごとく、個々の遺跡について、貝塚を主体とするか否かを判別することは不可能であり、あえてそれを区別しても無意味だと思う。ただ、貝塚を伴うか否かによって、その食糧獲得の背景や遺跡相互の有機的関係を把握する資料としたい。そこで未踏査で実在を未確認のものはできるだけ割愛し、現在確認している範囲で、貝塚を伴う遺跡(集落と集落以外のもの)と、貝塚を伴わない遺跡とに分けると、二―八表のとおりである。
2―8表 千葉市内の縄文時代の時期別遺跡数
時期別
種別
早期前期中期後期晩期
貝塚を伴う遺跡
(集落)
683244(3)
貝塚を伴う遺跡
(性格不明)
41713(3)
貝塚を伴わない遺跡
(性格不明)
881426(2)
18175383(8)

註 1.( )印は判定が困難で,不確実なものを示す。
  2.なお,この数値は昭和48年12月現在のもので,その後の調査による発見または確認したものは含まれていない。