Ⅲ 東寺山貝塚(東寺山町鹿島神社境内及び周辺)

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 この遺跡は、葭川(よしがわ)本谷と廿五里(つうへいじ)支谷とに狭まれた、広大な舌状台地の中央くびれ部にあり、廿五里支谷よりもむしろ、葭川本谷の中流地点からこの舌状台地に向って刻み込まれた小支谷に面して立地する。標高三〇メートル、水田面との比高は一八メートルをはかる。
 貝層部は、直径約一三〇メートルの馬蹄形をなし、開口部は東西二カ所にあって、貝層主体部が二つの孤状を呈し、南北に対峙する。なお、西がわの開口部には、台地縁辺部に点在する小型貝塚が伴っている。現在、日本住宅公団・宅地内の緑地公園として造成され、その周辺の縁辺部は削り取られてしまった。貝塚中心部には土を盛って表面をおおい、まさに表面的な保存処置が講ぜられているが、これでは見学も研究もできず、実質的には全面破壊に等しい。特に、この遺跡は、いまだ本格的な学術調査が行われたことがなく、したがって、その意義・内容についてはほとんど不明のままである。
 ただ、これまでの踏査によって、判明している範囲内のことを述べると、従来、表採土器によって、阿玉台式及び加曽利E式を中心とする縄文中期の遺跡であると思われてきたが、最近の表面採集によって、堀之内式、加曽利B式及び安行Ⅰ式などの後期の土器片も発見されている。また、後期の土偶なども発見されているので、後期まで存続していたことは明らかである。
 その他、イノシシ・ニホンジカなどの獣骨も検出され、クジラの脊椎骨も発見されている。
 なお、貝層部を構成している貝類は、ハマグリ・シオフキ・キサゴが主体をなし、そのほか、アサリ・オキアサリ・カガミガイ・ツメタガイ・アカニシ・バイなどが少量づつながら目立っていた。ただ、ボーリングによると、純貝層の分布がきわめて乏しく、混土貝層や混貝土層が主体をなしている。貝層の厚さも西側斜面と南側の鹿島神社境内付近の傾斜面だけが特に厚いことがわかっている。