縄文後期の遺跡として、すでに確認されているものだけでも、千葉市内には八三カ所をかぞえる。そのうち貝層を伴う遺跡が五七カ所で、実に約七〇パーセントを占めており、その他の包含地はわずかに二六カ所を数えるにすぎない。これを中期の遺跡に比べるならば、貝塚では一・五倍、包含地でも約二倍近くの増加を示している。
これによっても、いかに後期においては、貝塚遺跡が発達したかがよくわかる。しかも、貝塚遺跡の規模はますます増大し、特に大型の馬蹄形貝塚を伴う集落遺跡が、中期の二〇カ所から三〇カ所、一・五倍に膨張し、その貝の堆積量もはるかに大きくなる。これはまさに、「貝塚文化」の最盛期を物語る現象である。