Ⅺ 有吉貝塚(有吉町宮前所在)

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 東京湾から侵入する開析谷・泉谷津及び赤塚支谷によって形成された舌状台地上に位置し、貝層部はむしろ泉谷津に面して立地している。この貝層部を中心にして、赤塚支谷へ向う谷頭が三カ所もあり、遺跡全体からは、いずれの谷を利用しても東京湾に至る。なお泉谷津をさかのぼれば、約七百メートルで六通貝塚に達する。標高四〇メートル、水田面との比高は約二〇メートルをはかる。現状は畑だが、貝層部の北西端は日枝神社境内のために、すでに削平されており、周辺部は東南部丘陵地帯の宅地造成のためほとんど地形の旧状を失っている。
 この遺跡も、まだ本格的な発掘調査は行われていない。昭和四十四年の東南部丘陵地帯の遺跡分布調査の際(註1)、この遺跡の現状が調査されたが、それによると、貝層部は五カ所の貝層堆積群が、直径約一二〇メートルの範囲内に分布し、全体で馬蹄形を呈する。畑の表面に散布した貝殻の分布は、それらが連結して、二つの孤状堆積にみえるが、ボーリングの結果、まず東側に長さ七〇メートル、幅二〇メートルほどの堆積群が一カ所、西側に二〇×二五メートルと二〇×三〇メートルの堆積群が二カ所ある。
 馬蹄形貝塚の開口部は、南・北二カ所にあり、北側の開口部は赤塚支谷に向い、南側の開口部は泉谷津に向っている。ただ、この貝塚の特色としては、貝層部の高さと中央部との高低差がほとんどない。千葉市内における馬蹄形貝塚は、中央部がくぼんで、周囲の貝層部との比高を一~三メートルほど有するのが一般的特徴であるが、この遺跡の場合は特例で、むしろ、当時の基盤としては、逆に中央部の方がやや高かったことを示している。
 表面採集の資料を挙げると、まず土器では、中期の加曽利EⅠ・Ⅱ式、後期の堀之内Ⅰ式、加曽利BⅠ・Ⅱ式が発見され、わずかに安行Ⅰ式の土器片が伴っていた。その他加曽利E式土器片使用の土錘や貝刃などのほかに、ニホンジカの骨などを採集している。
 なお、この貝層部を構成している貝類は、ハマグリ・アサリ・シオフキを主体とし、そのほかツメタガイ・ウミニナ・キサゴ・アカニシ・イタボガキ・オキアサリ・アラムシロ・ホソウミニナなどが混入している。一般に二枚貝の成育度は良好で、大粒のものが多かった。また、貝層の厚さも浅いところで二〇~五〇センチメートル、深いところで八〇~一〇〇センチメートル以上を認めた。
 
【脚註】
  1. 「千葉市東南部丘陵地帯遺跡分布調査報告」千葉県考古学会、昭和四三年