ごく概観的に動物質の食糧について見てきたが、このほかに、昭和三十七年の発掘では発見されなかったが、植物質の食糧の存在を忘れることはできない。むしろ雑食性よりも草食性に近い人間の食糧として、植物質の食糧は、当時の食生活の中にあって、かなり大きな比重を占めていたと考えるのがもっとも妥当であろう。
それが、今日までの考古学的調査によっても、その概要すらとらえることができないのは、それら植物質の食糧、あるいはその残滓が非常に残りにくく、ほとんど残されていないという点に起因する。
そのような中でも、昭和三十九年以来の加曽利南貝塚の発掘調査の中で「クリ」、「クルミ」の存在が確認されている。
植物質の食糧の例としては、このような堅果類をはじめとして、トチ・シイ・モモ・カキなどが確認されている(註11)。
このほか、今日まで、全く形骸をとどめていない植物であっても食用に供される可能性のある植物は、すべて、食用に供されていたと見てさしつかえないであろう。