狩猟

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 次いで、古く先土器時代から、その存在が認められている狩猟があげられよう。
 先土器時代から、縄文時代へ移行するころ、洪積世から沖積世への地質的変化が進行しており、気温の上昇と植物の繁茂がみられ、草食性の小型獣類が出現し、それらの獲得のために「弓矢」が発達したといわれている。
 市内での弓の出土例は、まだ見られないが、安房郡丸山町加茂遺跡からは、縄文前期諸磯式期に伴うイヌガヤ製の「丸木弓」の出土例を見ることができる(註12)。
 一方、矢の方は、「矢柄(やがら)」は弓と同じく木であるか、あるいは竹を材料としているのかは、その出土例を見ることができないので不明であるが、「鏃(やじり)」は多数発見されている。
 これらは、獲物となったイノシシやシカの骨に射込まれた状態のまま残されていることもあるので、鏃であることはまちがいないと思われる。
 鏃の材料としては、石材の用いられている例がほとんどであるが(石鏃)、ほかに獣骨を利用したもの(骨鏃)などがある。石鏃には、黒曜石・チャートなどが用いられており、これらの石材は、千葉市内及び周辺には産出する所はなく、これらのもたらされた場所・経路・方法などは、当時の社会の様子を解明する上において非常に重要な問題となっている。
 また、石材の乏しいこの地域では、鏃をつけるかわりに、矢柄そのものの先端を尖らせて使用するということもあったであろう。
 狩猟には、このほか、先端をとがらせた棒や、棍棒、斧(石斧)、投石などが使用されたであろうし、あるいは「わな」を仕掛けることも行われたであろう。
 狩猟を考えるときに、もう一つ重要なことは、家畜としての犬(家犬)の存在があげられる。
 貝塚から犬の遺骸が発見されるとき、その骨は、ほかの食用に供せられた動物の骨が、部分的・散発的に出土することに対し、一個体分の骨がきちんと体型の整ったまま出土する場合がある(二―六五図)。

2―65図 埋葬されたイヌ(加曽利北貝塚)

 これは、その犬が食用に供されたものでなく、死に際して埋葬されたものと考えることができる。この場合に、その犬は、生前において、人間の生活のなかに直接的な関係を有していたと見ることができる。つまり、家畜として飼育されていたと考えられる。
 こうして、家畜としての犬を考えるとき、狩猟に際しての犬の存在はかなり重要な存在であったと考えることができよう。