その願望の具体として土偶の存在意義が考えられている。
土偶は、その字のごとく土でつくった人形である。そのほかには、岩偶、骨偶などの存在が知られているが、千葉市内からの発見例は未だない。
その土製の人形が、時期的・地域的変化を有しながらも、縄文時代全時期にわたって製作されている。
縄文時代人の土偶の製作にあたっては、必ずしも具体的な描写が行われておらず、むしろ、抽象的な描写の場合が多いが、その中でも、土偶は、明らかに女性、しかも妊娠した女性をかたどったものがほとんどである、ということができる(二―八五図)。
2―85図 土偶
(縄文後期,加曽利B式,加曽利南貝塚出土)
それは、その土偶における人体各部の表現に、乳房と見られる胸部の二個の円膨、妊娠の状態を表すと見られる腹部の膨隆、女性の体型の特徴と見られる臀部の膨隆、あるいは女性器と見られる陰刻などが存在することによって、異論をさしはさむ余地はないであろう。
更に、その出土の状態は、完全に原型を保って出土した例は皆無であり、いずれも、その一部分あるいは、破損した状態で出土しており、また、一方には、石囲いなどを設けて、その中におさめられた状態で出土した例(註42)(この場合であっても土偶は破損している)などがある。
このような出土状態、なかでも後者のような、特にていねいな取扱いのされている状態と、妊娠した女性をかたどったものがほとんどという状況は、明らかに、そこに縄文時代人の一定の観念・精神活動が存在し、その一端を具現していると考えて誤りではないであろう。
土偶とその扱い方における縄文人の観念が、どのようなものであったか、知るよしもないのであるが、あえて、推測するならば、当時の食糧の獲得をはじめとするすべての生産は、すべて人力によるものであり、稼動人員の多いほどにそれは豊富となる。したがって、「より多くの生産のためにはより多くの人員が必要であり、その人員の生れくるところは女性であり、直接には、胎内に子を宿した、つまり妊娠した女性がその源である。」という考え方から、「妊娠した女性こそ、すべての生産の源であり、豊かさの源である。」として、生産、豊漁(猟)に関する呪術としてこれを祭ったということが考えられる。