このような習俗については、ほかに研歯(註49)などの歯牙変形や、文身(ぶんしん)(註50)などがあげられているが、市内での資料の発見に乏しく、詳細は、資料の増加にまたねばならない。
(宍倉昭一郎)
【脚註】
- 千葉市加曽利貝塚博物館学芸員後藤和民の教示による。
- 芹沢長介「石器時代の日本」昭和三五年
- 武田宗久ほか「加曽利貝塚Ⅰ」『貝塚博物館調査資料』第一集 昭和四二年
- 金子浩昌(「貝塚と食料資源」『日本の考古学Ⅲ』 昭和四〇年)によれば、軟体動物は全国で三五三種が発見されている。
- 例えば、香取郡神崎町の「西之城貝塚」などがあげられる。
- 金子浩昌(4に同じ)によれば魚類は全国で七一種が発見されている。
- 金子浩昌(4に同じ)三五種
- 金子浩昌(4に同じ)七〇種
- 金子浩昌ほか「洞窟遺跡の考古学的調査」館山鉈切洞窟 昭和三三年
- 武田宗久「原始社会」『千葉市誌』 昭和二八年
- 金子浩昌(4に同じ)二七種
- 松本信広ほか「加茂遺跡」 昭和二七年
- 神奈川県夏島貝塚から、早期夏島式に伴うものが報じられている。杉原荘介ほか、「神奈川県夏島における縄文文化初頭の貝塚」『明治大学文学部研究報告』考古学第二冊 昭和三二年
- 3に同じ。
- 獲物に命中した後、先端が柄から離れて獲物の体内に残るものを「もり」、柄に固定されたままのものを「やす」と呼んでいる。
- 金子浩昌「貝塚出土の魚骨に見られた傷痕に就いて」『石器時代』Ⅰ 昭和三〇年
- 藤森栄一「縄文式土器」昭和四四年
- 新井司郎「縄文土器の技術」昭和四八年
- 植物の繊維でかごを編み、その上に漆を塗ってかためたもの。青森県、「是川遺跡」出土のものが有名。
- 真下高幸「車坂遺跡」『京葉』昭和四八年
- 八幡一郎ほか「高根木戸」昭和四六年
- 杉原荘介「加曽利貝塚」昭和四一年
- 10に同じ。
- 西村正衛「千葉県香取郡神崎町西ノ城遺跡」『第二次発掘概報』古代四五・四六合併号 昭和四〇年
- 吉田格「茨城県花輪台貝塚概報」『日本考古学』一―一 昭和二三年
- 千葉市立高等学校社会研究クラブ歴史班の発掘による。
- 20に同じ。
- 江坂輝弥「集落の移りかわり」『縄文土器と貝塚』昭和四八年
- 金子浩昌ほか「古和田台遺跡」『縄文前期集落址調査報告書』昭和四八年
- 26に同じ。
- 千葉市加曽利貝塚博物館学芸員後藤和民の教示による。
- 3に同じ
- 千葉市加曽利貝塚博物館学芸員後藤和民調査。
- 船橋市「塚田貝塚」のB―1号住居址(堀之内Ⅰ式期)においても円形プランを有していた(滝口宏ほか、「船橋市塚田貝塚」『千葉県遺跡調査報告書』 昭和三九年)。
- 28に同じ。
- 28に同じ。
- 3に同じ。
- 28に同じ。
- 3に同じ。
- 加曽利貝塚友の会編「加曽利貝塚」 昭和四一年
- 松村瞭ほか「下総姥山ニ於ケル石器時代遣跡」『東京帝国大学理学部人類学教室研究報告』第五編 昭和七年
- 群馬県郷原遺跡出土例などがあげられる(山崎義男「群馬県郷原遺跡出土土偶について」『考古学雑誌』三九巻三・四合併号 昭和二九年
- 千葉市加曽利貝塚博物館による。
- 10に同じ。
- 貝塚における人骨の出土は、食生活の項で述べたように、獣骨類と同じく、貝層堆積の有無の影響が大きい。
- 蕨立貝塚調査団による。
- 26に同じ。
- 武田宗久「下総国矢作貝塚発掘報告」『考古学』九―八 昭和一三年
- 歯牙の一部を研磨して変形させるもの。愛知県「伊川津貝塚」出土例が有名である。
- いれずみ。土偶の顔面にそれと思われる文様が見られることから推測されている。