一般に、土器や石器などの遺物や、住居址や貯蔵穴などの遺構が発見される場所を、一括して「遺跡」と呼んでいる。これは、当時の人びとが生きてゆくためのさまざまな行動、すなわちあらゆる文化活動の具体的な表現や、その痕跡を総括した概念である。
例えば、それはケモノや魚をとった生産の場であったり、土器や石器をつくった作業場であったり、時には、ただ通りすがりにものを落しただけの通路にすぎなかったかも知れない。これらの行動の痕跡を混同して、一概に遺跡だといってみても、実質的にはなんの意味もなさない。特に、これらの遺跡の中でも、ほかの行動とは明確に区別しなければならないのが、集落なのである。
集落とは、当時の人びとが一定の場所に定着して、共同で生存を維持してきた生活の本拠地である。あらゆる文化活動は、この集落から出発して集落に帰着する。その行動の原因と結果は、常に集落内の人間集団にあるからである。だから、あらゆる行動の痕跡(遺跡)も、この集落との関連によって、はじめて意味をもつのである。
すなわち、集落とは、あらゆる文化活動が集約された求心的原点であり、文北の創造的基盤である。この集落においてこそ、文化は創造され、育成され、伝承されてゆく。まさに集落こそは、ほかの遺跡の根源的な基盤(ベース)である。ここに、ほかの遺跡とは決して混同してはならない絶対的な優位性がある(註7)。