貝塚集落の二類型

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 さて、同じ「貝塚を伴う集落」であっても、その集落内における貝塚のあり方や、貝塚自体の様相の違いによって、次のような二つの類型に分けることができる。
  A 点在(又は点列)貝塚を伴う集落
  B 馬蹄形(又は環状)貝塚を伴う集落
 しかし、ここで「点在貝塚」というのは、廃棄された住居址内などに、貝層がレンズ状に堆積した小規模なもので、普通、一つの集落に、直径二~三メートルの小貝塚が数カ所から十数カ所にわたって点々と散在している。蕨立貝塚のように、実際に発掘してみると、その貝塚の下から必ず住居址が発見されている。
 ここで「馬蹄形貝塚」というのは、「中央広場」と呼ばれる空白部を中心に、厚さ二~三メートルに及ぶ大規模な貝の堆積が、直径百~二百メートルの環状、弧状、馬蹄形などに分布する大型貝塚である。犢橋貝塚のように、貝層部やその内側からは、必ずしも同時期の住居址は発見されず、その居住地点とは別の位置に、大量の貝が集中的に捨てられたものをいう。
 なお、貝層部が大きく数カ所に分かれていようが、それが連結していようが問題ではなく、集中的な大型の堆積が全体として環状もしくは馬蹄形になるものをいうのである。
 従来においても、貝塚の表面的な形状によって、点列・点在・地点・環状・馬蹄形・三日月形などの分類が行われてきた。しかし、それらは時おり混同し、混乱し、同種の集落として同格にあつかわれてきた。しかも、その形の相異を規模の大小としてとらえ、それが生ずる原因については、次のように考えられてきた。
 「ひとりの人間が食べられるていどの貝殻を、毎日つづけて千年間おなじところに捨てたとすれば、堀之内貝塚くらいの大きな遺跡にもなりうる。(中略)堀之内貝塚の面積は、一時期の集落の大きさを示すものではなくて、おなじ場所に住みついた時間の長さをあらわしていると考えるべきであろう(註8)」
 「その集落の居住期間が長く、貝殻の廃棄する量が長年月連続して多かった場合には、貝殻の堆積(貝層または貝塚)が重複し連続して、あたかも一つの大貝塚がそこにあったようになる。しかし居住期間が短い場合には、小さな貝塚がいくつかとびとびに集ったいわゆるブロック貝塚になるのが普通である(註9)」。
 すなわち、馬蹄形貝塚(大型貝塚)と点在貝塚(小型貝塚)との相異は、ただ単に、その内側に包含される集落の存続期間の長短の差であるとし、馬蹄形貝塚は点在貝塚が発達したものだというのである。
 しかし、それが正しいとすればさきにも述べたとおり、加曽利貝塚において、同一集落内に、直径一三〇メートルの北貝塚という大型の環状貝塚と、それを囲んで、住居址内に堆積した小型の点在貝塚とが同時に存在している事実を、どのように理解すればよいのであろうか。
 あくまでも「貝塚内集落説」に固執し、両者はそれぞれ別個の集落であると考える者さえある。しかし、同一台地上において、一方では、もっぱら貝を好んで食べる部落が、その「ごみ捨て場」の内側に蝟集し、他方では、それを尻目に、なぜかあまり貝を好まない部落がその周囲を取り囲みながら背中合せに住んでいたとは到底考えられない。当然、両者の貝塚の間には、集落内における存在意義や機能の相違があったと考えざるをえないのである。
 以上のような観点によって、東京湾東岸地域において、貝塚集落として把握された遺跡をここにまとめてみると、二―一一表、二―一二表、二―一三表及び二―一四表のとおりである。
2―11表 東京湾東岸における貝塚集落 時期別遺跡数
時期別
類別   
早期前期中期後期晩期
点在貝塚16313333(10)
馬蹄形貝塚004269(3)
163175102(13)

2―12表 千葉市内における貝塚集落 時期別遺跡数
時期別
類別   
早期前期中期後期晩期
点在貝塚681114(5)
馬蹄形貝塚002030(2)
683144(7)

2―13表 東京湾東岸における縄文時代の貝塚集落 地区別遺跡数
類別
地区別
点在
貝塚
馬蹄形
貝塚
貝塚集落として扱った遺跡(●印=点在・○印=馬蹄形)
東葛飾郡606●西高野●飯塚●岡田●桐ガ作●中沢●向原
(4.1)
流山市134●笹原○前ケ崎○三輪野山○上新宿
(2.8)
野田市156○岩名○梅郷○新川上○東金野井西●東金野井東○清水公園
(4.1)
松戸市161026●大塚越○白幡○通源寺○河原塚○紙敷●子和清水●中峠●牧之内○陣ケ前○上本郷●寒風○中堀込●貝の花●根木内●北小金●板の台●柏葉台●下須台●大橋向山○後田●二ツ木向台●木戸口●栗ガ沢○殿平賀○平賀●幸田
(17.9)
市川市11920●北台○堀之内○権現原●高徳保●康塚●宮久保○向台○曽谷○下貝塚●イゴ塚●貝殻塚○一の矢○下台●鳴神山●美濃輪台●株木○姥山●今島田○奉免●三中校庭
(13.8)
船橋市4913○古作○後貝塚○前貝塚○前貝塚堀込○貝殻ボッコミ○上飯山満●飛の台●薬園台東●高根木戸北●高根木戸南○上高根○海老ガ作○金堀台
(9.0)
習志野市011○藤崎堀込
(0.7)
千葉市233356(2―14表参照)
(38.6)
市原市156●草刈○門前○西広○山倉○諸久蔵○手永
(4.1)
市原郡011○塚越
(0.7)
君津郡022○富士見台○山野
(1.4)
木更津市044○祇園○永井作○上深作○葭ケ作
(2.8)
6382145
(100.0)

2―14表 千葉市内における縄文時代貝塚集落一覧
No.遺跡名所在地形態
(規模)
所属時期(型式)
1長作築地長作町築地馬蹄形中(加E)、後(堀・加B)
2犢橋犢橋町貝殻畑馬蹄形(径180m)後(堀・加B・安)主体、晩(安Ⅲa)、貝層なし
3鶴牧畑町鶴牧点在早(茅)
4武石武石町点在中(加E)、後(堀・加B・安)
5鳥込小中台町鳥込点在早(井・茅)
6鳥込東小中台町鳥込点在早(茅)、前(関)
7園生園生町長者山馬蹄形後(堀・加B・安)、晩(安Ⅲa)
8すすき山源町西寺山すすき山点在中(加EⅢ)主体、後(称・堀)散布
9廿五里北源町廿五里北馬蹄形中(加E)、後(堀)
10廿五里南源町廿五里(殿山ガーデン)馬蹄形中(加E)、後(堀・加B)
11殿台殿台町馬蹄形中(加E)、後(堀・加B)
12殿台前殿台町点在中(加E)、後(堀・加B)
13東寺山東寺山町鹿島神社北側馬蹄形中(阿・加E)、後(堀)
14東寺山南東寺山町鹿島神社南側点在中(阿・加E)
15草刈場貝塚町草刈場馬蹄形中(加E)、後(堀・加B・安)、晩(安Ⅲa)
16草刈場南貝塚町草刈場点在中(加E)、後(堀・加B)
17荒屋敷西貝塚町荒屋敷点在前(関・諸)
18荒屋敷貝塚町荒屋敷馬蹄形中(阿・加E)、後(堀)
19台門貝塚町馬蹄形後(堀・加B・安)、晩(安Ⅲa~c)、貝層点在
20木戸場(都町台)都町木戸場(諏訪神社裏台)点在早(夏)、前(関・諸)
21向の台都町向の台(都小校庭)点在早(田上・子・茅)、前(関・諸)
22辺田都町辺田点在前(諸)
23滑橋千城台町滑橋(加曽利貝塚対岸)点在中(加EⅡ・Ⅲ)、後(堀)
24加曽利北桜木町京願台馬蹄形(径130m)中(勝・阿・加E)、後(称・堀)
25加曽利南桜木町京願台馬蹄形(径170m)中(阿・加E)、後(称・堀・加B・安)、晩(安Ⅲa・b)
26蕨立坂月町蕨立点在(7ヵ所)中(加E)主体、後
27さら坊坂月町さら坊点在中(勝・阿・加E)
28坂月台坂月町台(坂月小校庭)馬蹄形後(堀・加B)
29花輪加曽利町花輪馬蹄形後(堀・加B)
30亥鼻亥鼻町馬蹄形中(加E)、後(堀・加B・安)
31矢作矢作町貝殻馬蹄形前(諸)点在、中(加E)、後(堀・加B・安)晩(安Ⅲa)点在
32月之木仁戸名町月之木馬蹄形中(加E)、後(堀・加B)
33へたの台仁戸名町へたの台点在(数カ所)中(阿・加E)、後(堀・加B)
34上坂尾坂月町上坂尾馬蹄形後(堀・加B・安)
35多部田多部田町大谷馬蹄形中(加E)、後(堀・加B・安)
36北谷津北谷津町点在中(加E)
37荒立金親町馬蹄形後(加BⅡ・安)
38野呂奥新田泉町野呂奥新田馬蹄形後(堀・加B・安)
39誉田高田高田町冬寒台馬蹄形(数カ所)中(阿・加E)、後(堀・加B・安)
40水砂平山町東水砂点在中(加E)主体、後(称・堀)
41長谷部平山町主理台馬蹄形中(阿・加E)、後(堀・加B・安)
42台畑平山町台畑点在後(堀・加B)
43菱名平山町菱名馬蹄形+点在中(加E)主体、後(堀)
44野田小谷誉田町野田小谷点在中(阿・加E)、後(加B)
45築地台平山円築地台馬蹄形中(加E)、後(堀・加B・安)
46六通大金沢町六通馬蹄形後(堀・加B・安)、晩(安Ⅲa)、点在
47六通西大金沢町六通点在後(堀・加B・安)
48大膳野大金沢町大膳野馬蹄形前(諸)点在、後(堀)
49大膳野北大金沢町大膳野馬蹄形後(堀・加B)
50有吉有吉町宮前馬蹄形中(加E)、後(堀・加B)主体
51小金沢小金沢町点在前(黒)、後(堀・加B・安)
52上赤塚生実町上赤塚馬蹄形中(加E)、後(堀・加B・安)
53南生実台南生実町台馬蹄形後(堀・加B)
54オクマンノ宮崎町オクマンノ点在(13カ所)早(茅)
55鷲谷津宮崎町(旧飛行場横)馬蹄形中(加E)、後(堀)
56押元大宮町押元馬蹄形後(堀・加B)