縄文前期の様相

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 前期になると、貝塚集落の数も早期の二倍に増加し、その分布も、東葛飾郡の関宿町、松戸市の小金原、市川市の曽谷町及び千葉市の都町など、特定の地域にややかたまって、小さなグループをなす傾向がある(二―九二図)。

2―92図 千葉市内における貝塚集落の分布(縄文前期)

 それでも、全般的にみれば、そのグループ間の距離や、そのほかの集落相互間の距離がかなり離れており、その立地も旧海汀線に面して点在しており、やはり早期と同じく分散的傾向をとどめている。この時期の居住施設としては、ようやく竪穴住居が一般的となり、長方形、台形、方形などのプランをもち、中央に炉が設けられるようになる。しかも、一遺跡内に同時期の住居址が数基から二〇基以上も発見される。これは、当時の人びとが一定の場所に集団で共同生活をはじめ、ようやく定着的な集落を築きはじめたことを示している。
 しかし、千葉市内においては、前期の集落が比較的少なく、鳥込東、西荒屋敷、木戸場、向の台、辺田、矢作、大膳野、小金沢などの貝塚が知られているにすぎない。しかも、これらのうち向の台貝塚と矢作貝塚が局部的に調査されただけであるが、前期の住居址は確認されぬまますでに全面が破壊されており、ほかの遺跡については、本格的な発掘調査はほとんど行われていない(註11)。
 関東地方におけるこの時期の特色として、直径二~五メートルほどの小型貝塚が、一つの台地の限られた範囲に数個ないし十数個まとまって点在している遺跡が多い。この貝塚の下からは、一基ずつの竪穴住居が発見されるのが一般で、これは、当時廃棄した住居址に、その周辺に住んでいた人びとが貝殻を投げ込んだために生じた現象で、これがいわゆる「点在貝塚」なのである。
 例えば、埼玉県の上福岡貝塚(註12)においては、総計一五カ所の小型貝塚群が露呈し、そのうち発掘されたのは八カ所だけであるが、そのいずれからも一個ずつの竪穴住居址が発見されている。そこで、未発掘の小貝塚群にも、それぞれに「竪穴ありとせば聚落図の一例となすことが出来る(註13)」という。
 特に重要なのは、横浜市の南堀貝塚における昭和三十年の発掘調査である。このとき黒浜式期から諸磯式期に属する竪穴住居址が約五〇基も発見された。その「竪穴の多くのもののなかには貝層が堆積しているが、これは古い竪穴が廃棄されたのちに隣接した新しい竪穴の居住者によって、そこがごみ捨場として利用されたためである(註14)」という。
 ところが、その台地の西傾斜面には、一二×二〇メートルのやや大きい貝塚が独立していたが、その貝層下からは住居址は一軒も発見されなかったという。しかも、住居址群や貝塚群に囲まれた中央部には、いずれの時期にも竪穴が掘られたり、貝殻が捨てられた形跡のない「空白な広場」がある。それは、「そこが集落の中央をしめる特別な場所として、なにかの意味をもっていたからである」とし、「集団生活の結集点として欠くことのできない役割をもつ施設であったと想定される(註14)」というのである(二―九三図)。

2―93図 横浜市・南堀貝塚の竪穴住居址群
   (『横浜市史』第1巻,1968より)

 このように、この時期の集落には、廃棄された住居址に、その日その日の貝の食べかすを投入した小型の点在貝塚を伴うのが一般的傾向である。これによって、千葉市内における未調査の点在貝塚も、その貝層下に住居址を埋蔵している集落であると推定することができるのである。
 ただ、だからといって、その点在貝塚の表面的な分布状態が、そのまま当時の集落の全体や集落形態そのものを表現していると判断するのは、きわめて危険である。
 例えば、松戸市の幸田貝塚(註15)は、その地表面における貝塚の状態では、台地の西側舌状部に、南北二五〇メートル、東西一八〇メートルの円陣をなして点在していると思われていた。ところが発掘してみると、「むしろ住居址はその内側の方へと伸び連続発見される傾向が認められ、しかもそれらの伏在する個所の地表には貝殻の散布を見ず、おのおのの住居内に貝層をなして埋没しているのが常であった(註16)」というのである。
 以上のように、早期から前期にかけては、点在貝塚を伴う集落が主体をなしている。その貝塚の集落内における様相をみても、貝の量はごく少なく、その所在が散在的で、明確な統一性は見出せない。これは、当時の人びとが日々の食糧の残滓を住居の近くに捨てただけの、いわば個人的、任意的な現象にすぎない。
 すなわち、まだ貝塚を中心とする集落内の社会規制もなく、地域内の集落相互間にも、まとまりや結合関係の存在が不明確である。ただ、前期になって竪穴住居が一般的となり、その存続期間もやや定着的になる。これは「貝塚文化」の基盤としての貝塚集落がようやく生成されたことを示し、次の発展期への準備的段階としてとらえることができよう。