二 生産形態の変遷

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 縄文時代は狩猟と漁撈と採集によって食糧を確保していた時代で、まだ畑作や水田耕作などの栽培や農耕生産は行われていなかった。近年、中部山岳地帯における中期農耕論(註24)や、九州地方における晩期農耕論(註25)が流行しているが、それはごく限られた地域における特殊な現象であり、普遍的な文化現象としてはとらえられない。少なくとも、東京湾沿岸を中心とする関東地方においては、そのような、農耕説を裏づけるべき事実は、現在のところ全く見出せないのである。
 特に、縄文時代の全時期を通じて、常に伝統的に継承されてきたもっとも基本的な生産は狩猟であって、その意味では、ここで格別に取り上げるべき特色は見出されない。しかし東京湾をひかえた沿岸地域の、しかも貝塚を伴う集落を中心とするかぎり、ここで特に触れておかなければならないのは、その漁撈活動の変遷であろう。