Ⅰ 地域的様相

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 千葉市内において、現在までに確認されている古墳の総数は、すでに湮滅したものを含めると、実に五二六基にのぼる(二―二二表)。
2―22表 千葉市内における古墳の地域別分類
地域群列形態市内の古墳(●印)及び古墳群(○印)名
前方後円方墳円墳横穴
東京湾岸地域第一群1●鉄砲塚(1)
3○木戸尻(2)●星宮塚(1)
31○鉄砲塚(5)○宇那谷(3)●武石(1)○大小塚(2)○子安(3)○陣屋台(2)○鳩原(4)●宮野木原(1)○井尾舛(1)●塚原(1)○高崎(3)○勝田台(5)
35
第二群1●鷲塚(1)
1●大塚(1)
92○大郎堀込(5)●江戸向(1)○満賀田(3)○東寺山第1(60)○駒形(8)○東寺山第2(8)●千人塚(1)○阿ら屋敷(5)●大門(1)
94
第三群8○新山(2)●多部田(1)○塚原(2)○中原(3)
5○兼坂(2)●荒久(1)○奈木田(2)
159○兼坂(3)●聖人塚(1)○御所ケ原(3)○和田(3)●新山(1)○七ツ塚(7)●星久喜(1)●城ノ腰(1)●姫宮(1)○辺田前(4)●大泉台(1)○坂月(7)○へたの台(11)●阿弥陀(1)●大久保(1)○上人塚(2)○多部田(16)○高根(47)○熊野神社(13)●並木(1)●前畑(1)○菱名(10)○吾妻(2)○台畑(3)●塚原(1)○中原(6)○水砂(4)○六通(6)●百畑(1)
172
第四群7●瓢箪塚(1)●大覚寺(1)●八人塚(1)○椎名崎(2)●にとな(1)●狐塚(1)
1●観音塚(1)
86○花輪町A(9)○大厳寺裏(2)○藤葉(3)○瓜作(5)○赤井(5)○榎作(2)○七廻塚(2)○八人塚(5)○北生実(5)●大道(1)○兼塚(6)○富岡(4)○上赤塚(7)○にとな(3)○南二重堀(5)○椎名崎(16)○大金沢(6)
94
第五群1●中西(1)
1
小計1710369396
 
内陸部第一群1●舟塚(1)
1●かるむみ(1)
90●浅間ビヨ(l)○北寺山(21)●外道(1)○花井田(6)○谷部田(2)○権現堂(7)○姫塚(8)○大池(3)●上原(1)●寺井田(1)○水之間(4)○出戸(4)○宝禅寺(15)○能真坊(2)○前沢(5)○二ツ塚(2)○舟塚(5)○城楽台(2)
92
第二群4○大野(4)
24○狐塚(24)
1●大椎(1)
29
第三群9○小食土(9)
9
小計1511410130
総計181548310526

 いま、それぞれの古墳の所属時期を無視して、形式的にその立地状態を地域別に概観してみると、まず、ほとんどの古墳が標高二〇~四〇メトールの台地上に立地しており、市内においては、二、三の例を除けば、沖積低地に築かれたものはほとんどないといえる。二、三の例外とは、浜野町付近の古絵図に塚跡としてみられるもので、それも果たして古墳時代の墳墓か、後世の供養塚などに類するものかは、その形跡さえ残っていない現在では確かめるすべもないのである。
 さて、五二六基のうち、東京湾沿岸に面する台地上に立地するものが三九六基を占め、内陸部に立地するものは、わずかに一三〇基、沿岸部の三分の一にも満たない。
 これを古墳の形態別にみると、東京湾沿岸では、前方後円墳は一七基、方墳は一〇基であるが、円墳は、直径二~三メートルの小円墳を含めると、実に三六九基、全体の九割以上を占めている。
 内陸部においては、前方後円墳一基、方墳五基に対して、円墳は一一四基を数え、全体の約八八パーセントを占めている。なお、内陸部の小食土町には、大網方面から開析された谷津に面する舌状台地の中腹部に、地山の砂岩をくり抜いた横穴群が二カ所、計九基が、確認されている。しかし、東京湾沿岸では、まだ横穴の存在は知られていない。ただ、村田川の源泉地に当たる大椎町の大椎城址の中腹部に一基、横穴の所在が確認されているにすぎない。
 これらの分布状態を、更に細かく分析すれば、当時の生産基盤であり、古墳築造の背景となった水田や河川によって、その立地を、次のような八つのグループに分けることができる。
 東京湾沿岸地域
 第一群 浜田川、花見川及び宮野木谷周辺
 第二群 葭川流域
 第三群 都川流域
 第四群 都川と村田川に挾まれ、東京湾に面した台地上
 第五群 村田川流域
 内陸奥部地域
 第一群 鹿島川流域
 第二群 村田川上流
 第三群 太平洋側よりの開析谷縁辺
 このおのおのの地域における古墳の分布状態は、二―二二表のとおりである。
 このように、市内における古墳の立地の様相は、東京湾沿岸に偏在し、特に、市内を貫通する都川及び葭川流域に集中しており、この二つの流域だけでもその数は二六六基に及び、全体の半分以上を占めている。
 それに次いで、都川と村田川とに挾まれた細長い洪積台地上、特に村田川によって開析された広い沖積平野に面した生実町、有吉町、椎名崎町周辺の台地上には、方墳や前方後円墳を含む九五基が集中している。
 これに対して、内陸奥部においては、鹿島川流域には、都川や葭川に比べて水田可耕面積がはるかに広いにもかかわらず、古墳の数はわずかに九二基を数えるにすぎない。しかも、そのほとんどが小規模な円墳群からなり、方墳や前方後円墳はきわめて乏しい(二―二二表)。