市内最古の前方後円墳は、生実町に所在する大覚寺山古墳である。この古墳は、昭和四十五年、宅地造成工事の際、偶然発見された。発見当初、後円部が平坦であることから、前方後方墳ではないかと考えられていたが、測量調査の結果(註1)、五世紀初頭に位置する市内最古、最大の前方後円墳であることが判明し、県指定史跡となった。この古墳は、東京湾へ向って細長く伸びる舌状台地を利用して造られており、墳丘の主軸長六二メートル、後円部の径三〇メートル、前方部幅二五メートルを数え、東京湾に面する後円部の方が前方部より一・四メートルほど高い。立地、形態からも、この古墳が古式であることがうかがわれる。なお、後円部の前方に陪塚と思われる小円墳が一基ある。