[後期古墳の分布]

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 千葉市内における後期古墳の分布は、前期に比較するときわめて複雑な様相を呈している。まず、古墳の立地をみると、東京湾沿岸部においては前期古墳同様に標高二〇~三〇メートルの洪積台地上にあるが、その分布は前期古墳が生実町付近の海岸に面した台地上のみに限られているのに対して、後期古墳は市内を貫流する葭川・都川、また内陸部に面する鹿島川などの河川によって開析された樹枝状の谷をとりまくように、市内各地の台地上に広範囲に分布している。
 しかし、分布の濃淡はかなりはっきりしており、二―一一四図のとおり市内における後期古墳は、主に葭川及び都川流域と、都川と村田川に挾まれた東京湾に直面する細長い台地上の二ブロックに集中している。一方、内陸部の鹿島川流域や東京湾沿岸部の北部に位置する浜田川・花見川・宮野木本谷周辺では、前述の両地域に比べてただ単に数が少ないだけでなく、前方後円墳と方墳がごく少数しか発見されていない。特に鹿島川流域においては、いままでのところ、前方後円墳と方墳は一基ずつしか確認されておらず、市内における古墳の稀薄地域といえる。

2―114図 千葉市内における後期古墳と後期集落の分布

 つぎに市内の後期古墳を墳丘の形状により分類してみると、基本的には、前方後円墳、方墳、円墳に分けられるが、これらは二―一一四図に示すとおりそれぞれ単独で分布せず、いくつかの形状の異なった古墳が集合して古墳群を構成している。これら古墳群の発掘調査例は今日までわずかであり、大部分の古墳群の時期については、全く推定の域を出ない。ここではごく便宣的に、古墳の形状などの外観から、市内における古墳群の構成をみると、次の七グループに分類できる。
 (一) 大・小円墳からなる群集墳 東寺山第一・第二古墳群、へたの台古墳群など
 (二) 前方後円墳を含む円墳群  鉄砲塚古墳群、多部田古墳群、にとな古墳群、椎名崎古墳群、中原古墳群、八人塚古墳群、舟塚古墳群など
 (三) 方墳を含む円墳群     奈木田古墳群
 (四) 方墳群          木戸尻古墳群、大野古墳群ほか
 (五) 方墳           荒久古墳、観音塚古墳など
 (六) 前方後円墳        鷲塚古墳、狐塚古墳など
 (七) 横穴群          小食土横穴群など
 なお、(一)(二)(三)群には低いマウンドを持ち、内部(地表下)に組み合わせ式箱型石棺を有する特殊な円墳を伴うことがある。