c 円墳群の様相

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 円墳は、市内各所ほとんど全域にわたって分布しており、その規模も直径四〇メートル前後、高さ五~六メートルに及ぶ大型のものから、直径一~二メートル、高さ〇・五メートルの小型のものまで多種多様である。これらの円墳はほとんどの場合単独で存在せず、一つの台地上に数基、多いときには数十基からなる群集墳を構成している。数量によって、後期円墳群を分類してみると次のようになる(カッコ内は基数)。
 (一) 二〇基以上の円墳からなる群集墳 東寺山第一古墳群(六〇)、北寺山古墳群(二一)、高根木古墳群(四七)、狐塚古墳群(二四)など四カ所
 (二) 一〇基以上の円墳群 多部田古墳群、熊野神社古墳群、菱名古墳群、椎名崎古墳群、宝禅寺古墳群など六カ所
 (三) 五基以上の円墳群 勝田台古墳群など二二カ所
 (四) 二基以上の円墳群 宇那谷古墳群など二九カ所
 (五) 一基単独のものは、武石古墳群など二三基をかぞえる。
 東京湾沿岸部におけるこの円墳群には、前にもふれたとおり、前方後円墳や方墳が伴う場合が多いが、鹿島川流域などの内陸部においては、前方後円墳や方墳自体が少ないので、円墳のみの場合が多い。ただし、二〇基以上の円墳からなる群集墳の場合には、いずれも前方後円墳などを伴わず、特に東寺山第一古墳群と狐塚古墳群には、その規模において、前方後円墳に優るとも劣らない大型の円墳が一~二基存在する(註5)。

2―117図 千葉市内における群集墳の分布

 これら後期古墳の内部主体については、ほとんどの場合が木棺直葬で、前方後円墳や一部の方墳にみられるような石室をもつものは少ない。ただし、これらの円墳群の中に、ときとして、高さ一メートルたらずの低いマウンドをもち、内部主体は地表下に組み合わせ式箱型石棺を有する円墳が発見されている。俗に「カラト」とよばれるこの円墳は、現在まで七基発見されているが、その分布は二―一一八図で示すとおり、都川流域に限られている。この箱式石棺を有する円墳の最大の特色は、石棺内に何度も追葬を行っていることで、市内加曽利町の兼坂古墳(註6)では四体、八千代市芝山二号墳(註7)では九体の追葬例が知られている。

2―118図 千葉市内における組み合わせ式箱型石棺を有する円墳の分布