市内の横穴の分布は小食土町に二カ所、計九基と、大椎町の大椎城址下の一基のみで小食土町の場合はともに大網駅方面から入り込んだ小支谷にかこまれた標高四〇メートルの細長い台地の中腹付近に、地山の砂岩をくりぬいてつくられている。
九基のうちの二基は、羨道部が土砂に埋没しているが、残り七基は開口しており、現在農家の物置きなどに使われている。これらの規模・構造は九基ともほとんど同じで、羨道入口の幅約一・五メートル、高さ一・五メートル、奥行五・五メートル、玄室の幅三メートルをはかる。内部構造については、後に遺跡の紹介の部でふれるが、いずれにしてもこの横穴群は東京湾沿岸地域における古墳文化とは異質なものであろう。