前項でみたとおり、千葉市内には、約二百カ所にも及ぶ古墳時代の遺跡が存在している。しかし、その前半期(四世紀末~五世紀初頭)に属する遺跡は、わずかに五カ所を数えるにすぎない。しかも、その内容は、従来のごく限られた断片的な調査からは明確にはとらえることはできない。ただ、それによって、この時期の古墳が存在することが知られ、また、弥生時代からつづく埋葬形態としての方形周溝墓が確認され、そして集落の一端も明らかになったことはたしかである。
後半期(五世紀中葉~八世紀初頭)の遺跡はきわめて豊富で、市内の遺跡の大半はこの時期に属している。組み合わせ式箱型石棺や横穴式石室や横穴などの発見例が増加し、前方後円墳や小円墳の群集などが把握され、また、集落における住居形態や、集落遺跡と集落遺跡との関係などがようやく把握しうる段階に近づきつつある。
ここでは、土師式土器の編年によって、二―二〇表のとおり、五領式及び和泉式に属する時期を前期とし、鬼高式、真間式及び国分式に属する時期を後期とし、なお理解の上での混乱をさけるため、この時期の遺跡を大きく古墳と集落とに大別して、これまでに局部的にでも発掘調査され、多少とも内容の明らかにされているものについて、ごく簡単な紹介を試みようと思う。